元JFA会長・岡野俊一郎氏が死去85歳 W杯日韓大会を成功

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   日本サッカー協会(JFA)元会長の岡野俊一郎氏が2017年2月2日、肺がんのため死去した。85歳だった。JFAが3日、公式サイトで発表した。

   岡野氏は02年FIFAワールドカップ(W杯)日韓大会を成功させた功労者。国際オリンピック委員会(IOC)委員として98年長野冬季五輪の招致にも関わるなど、日本スポーツ界発展に尽力した。テレビ番組「三菱ダイヤモンド・サッカー」の名解説者としても印象深い。

  • JFA元会長の岡野俊一郎氏が死去した(画像はJFA公式サイトのスクリーンショット)
    JFA元会長の岡野俊一郎氏が死去した(画像はJFA公式サイトのスクリーンショット)
  • JFA元会長の岡野俊一郎氏が死去した(画像はJFA公式サイトのスクリーンショット)

「三菱ダイヤモンド・サッカー」名解説も人気

 

   岡野氏は1931年8月28日、東京都台東区生まれ。東京大学文学部卒。サッカー日本代表のコーチとして、64年東京五輪のベスト8入り、68年メキシコ五輪の銅メダルを経験した。70~71年には代表監督も務めた。

 

   JFA会長として日韓W杯を成功させると、02年に同名誉会長、さらに東アジアサッカー協会連盟(EAFF)会長を歴任した。05年にはその功績を称えられて日本サッカー殿堂を受賞し、12年には文化功労者に選ばれた。

 

   訃報を伝えたJFAの発表では、協会関係者が次のように言葉を寄せている(一部抜粋)。

田嶋幸三会長「若い頃、サッカーの勉強をしていると、必ず、岡野さんが訳された文献にあたり、岡野さんのお名前を見る度、日本サッカーの国際的な窓口であり、広く世界に扉を開いている方だと思っていました」
川淵三郎JFA最高顧問「東京オリンピック、メキシコオリンピックともにクラマーさんの教えは全て岡野さんを通じて、我々選手に伝えられました。そういう意味で、『日本サッカーの伝道師』と言えるでしょう」

   また、日韓W杯開催時のJFA会長としての印象が深く、ツイッター上では当時を思い出すユーザーが続出している。

「岡野会長、日韓W杯の思い出が印象強いです。お悔やみ申し上げます...」
「岡野さんがいなかったら日韓W杯なんて開催しなかっただろうな。 それにオレがサッカー好きにもならなかっただろう。ご冥福をお祈り申し上げます。」

   さらにさかのぼると、60~90年代に放送されたサッカー情報番組「三菱ダイヤモンド・サッカー」(東京12チャンネル=現テレビ東京)の解説者として、お茶の間で絶大な人気を集めていたことから、ツイッターでは

「ダイヤモンドサッカーの解説者としての功績を忘れてはいけない。当時のサッカー少年はみな岡野さんの解説聞いて育ったんだ」
「岡野さんというと、比較的若い世代の人は日韓W杯時のJFA会長の印象かも知れませんが、オレら世代だと何と言っても『三菱ダイアモンドサッカー』の解説者」
「オイラにとっては、三菱ダイヤモンドサッカーの解説者。謹んで合掌」

などのコメントも多く見られた。

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