「これがなければ大阪国際女子マラソンではない」の声も
一方で、
「この大会の伝統なのに」
「これがなければ大阪国際女子マラソンではない」
といった反論も少なくない。
というのも、ALFEEは1987年の第6回大会から30年にわたって大会のイメージソングを提供しているためだ(編注:95年は阪神・淡路大震災のため大会中止)。
第6回大会の『夢よ急げ』から、第23回大会(2004年)の『夜明けの星を目指して』までが収録されたベストアルバム『夢よ急げ -大阪国際女子マラソンイメージソング・アルバム-』も04年に発売されている。
曲が流れるタイミングも30年間ずっと変わらない。先頭集団が大阪城公園に差しかかる、あの場面だ。
産経スポーツ電子版の記事(17年1月30日付け)は「大阪城公園内は複雑なルートのため当時は中継電波などが途切れやすかったそうで...ならばどうする? となってそこはカンテレ。その難しさを逆手にとってその間だけでも『音楽を流そう』となったらしい」と1987年当時のエピソードを紹介している。
つまり、29歳の重友選手の生まれる前から、大阪国際女子マラソンにALFEEの曲は欠かせなくなっていたというわけだ。