セーラー服女子学生の聖地は? 京都説に「福岡の逆襲」

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   女子学生の制服の定番とも言える「セーラー服」は、福岡市の福岡女学院が発祥だというのが「通説」だとされてきたが、ここ10年ほどで京都市の平安女学院が「初」だとする異論も出てきた。

   実はこの「初」は、「セーラー服」の定義によって変わってくる。福岡の町おこし団体はこのほど、福岡女学院の跡地前に「セーラー服発祥の地」と書かれた案内板を設置し、「元祖」をアピールした。

  • 福岡女学院の跡地前に「セーラー服発祥の地」と書かれた案内板が設置された(eco musee はかた博物館 提供)
    福岡女学院の跡地前に「セーラー服発祥の地」と書かれた案内板が設置された(eco musee はかた博物館 提供)
  • 福岡女学院の跡地前に設置された案内板(eco musee はかた博物館 提供)
    福岡女学院の跡地前に設置された案内板(eco musee はかた博物館 提供)
  • 福岡女学院の跡地前に設置された案内板(eco musee はかた博物館 提供)
    福岡女学院の跡地前に設置された案内板(eco musee はかた博物館 提供)
  • 福岡女学院の跡地前に設置された案内板(eco musee はかた博物館 提供)
    福岡女学院の跡地前に設置された案内板(eco musee はかた博物館 提供)
  • 福岡女学院の跡地前に「セーラー服発祥の地」と書かれた案内板が設置された(eco musee はかた博物館 提供)
  • 福岡女学院の跡地前に設置された案内板(eco musee はかた博物館 提供)
  • 福岡女学院の跡地前に設置された案内板(eco musee はかた博物館 提供)
  • 福岡女学院の跡地前に設置された案内板(eco musee はかた博物館 提供)

10年前の制服メーカーの調査で「福岡説覆る」?

   福岡女学院は1885年に創立された福岡市内では有数の「お嬢様学校」。女優の牧瀬里穂さんや歌手の広瀬香美さんらの出身校としても知られる。1915年(大正4年)に着任したエリザベス・リー校長が、3年の歳月と8回の試作を経て、1921年にセーラー服を正式に制服として採用。翌1922年から全校生徒が着用を始めた。

   これが1980年代ごろから「日本で最初のセーラー服」と報じられ「通説」となったが、2007年に制服メーカー「トンボ」(岡山市)が、平安女学院が福岡女学院よりも早い1920年11月にセーラー服を採用したことを確認した、とする調査結果を発表。当時の新聞は

「元祖『セーラー服』は京都 大正9年 通説・福岡の前年」(産経新聞)
「セーラー服、元祖は京都? 福岡女学院より1年早く――メーカー調査」(日本経済新聞)
「セーラー服第1号、京都だった 1920年採用、福岡説覆る」(朝日新聞)
「セーラー服元祖 1921年・福岡女学院でなかった!? メーカー新見解 1920年・平安女学院1年早く」(西日本新聞)

などと報じ、「通説」が覆ったとの見方も広がった。ただ、この「初めて」には一定の条件がある。トンボがウェブサイトに掲載した説明によると、最も早く制服に「洋服」を導入したのが平安女学院だというのは「異論のないところ」だとしながらも、平安女学院は「セーラー衿の付いた濃色のワンピース型」。だが、

「現在一般的にセーラー服と呼ばれている上下セパレート型でリボンのついた洋服を採用し、しかも、それをそのまま継続している学校という点では、福岡女学院が最初だといえます」

などとして、「セーラー服」の定義によってどちらも「初」になり得るとの見方だ。

学校跡地には「ニッポンセーラー服発祥の地」の看板

   調査結果の発表から10年が経ち、改めて「福岡発祥説」を強調する動きも出ている。2017年1月16日には、セーラー服導入時に旧福岡女学校(福岡女学院の前身)があった場所(福岡市中央区薬院)の前に、当時の制服を着た女学生の写真つきで「ニッポンセーラー服発祥の地」「セーラー服発祥の地」と書かれた案内板が設置された。設置には福岡女学院中学・高校の二田(にた)真知子校長も立ち会った。地域おこし団体「ハカタ・リバイバル・プラン」では、「博多」に代表される福岡市中心部の電柱に、その地域の歴史を紹介する案内板を取り付ける活動を行っており、今回の設置もその一環だ。

   1900年代初頭には欧米のマリーン・ルック調の女子学生向けの服装を「ピーター・トンプスン」と呼んでいた。

   「ハカタ・リバイバル・プラン」の立石武泰会長は、トンボが指摘していた「ワンピース」と「ツーピース」の違い以外にも、

「平安女学院は、『ピーター・トンプスン』を『直輸入』したに過ぎない」

と指摘しながら、

「福岡女学院の制服は当時の校長がバスケットボールを通じて学生と交流しようと、学生が動きやすいように試作を重ねた末にできたもの。日本にローカライズされている点に加えて、各地の女学校から問い合わせが相次ぎ、日本中に広がったという点でも、福岡が『セーラー服発祥の地』です」

と胸を張っていた。

   一方の平安女学院は、ウェブサイトで

「ユニフォームメーカー 株式会社トンボ・ユニフォーム研究所によると平安女学院が、セーラー服を制服として採用した日本で初めての学校であることが最近の調査で明らかになりました」

と紹介している。

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