セーラー服女子学生の聖地は? 京都説に「福岡の逆襲」

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学校跡地には「ニッポンセーラー服発祥の地」の看板

   調査結果の発表から10年が経ち、改めて「福岡発祥説」を強調する動きも出ている。2017年1月16日には、セーラー服導入時に旧福岡女学校(福岡女学院の前身)があった場所(福岡市中央区薬院)の前に、当時の制服を着た女学生の写真つきで「ニッポンセーラー服発祥の地」「セーラー服発祥の地」と書かれた案内板が設置された。設置には福岡女学院中学・高校の二田(にた)真知子校長も立ち会った。地域おこし団体「ハカタ・リバイバル・プラン」では、「博多」に代表される福岡市中心部の電柱に、その地域の歴史を紹介する案内板を取り付ける活動を行っており、今回の設置もその一環だ。

   1900年代初頭には欧米のマリーン・ルック調の女子学生向けの服装を「ピーター・トンプスン」と呼んでいた。

   「ハカタ・リバイバル・プラン」の立石武泰会長は、トンボが指摘していた「ワンピース」と「ツーピース」の違い以外にも、

「平安女学院は、『ピーター・トンプスン』を『直輸入』したに過ぎない」

と指摘しながら、

「福岡女学院の制服は当時の校長がバスケットボールを通じて学生と交流しようと、学生が動きやすいように試作を重ねた末にできたもの。日本にローカライズされている点に加えて、各地の女学校から問い合わせが相次ぎ、日本中に広がったという点でも、福岡が『セーラー服発祥の地』です」

と胸を張っていた。

   一方の平安女学院は、ウェブサイトで

「ユニフォームメーカー 株式会社トンボ・ユニフォーム研究所によると平安女学院が、セーラー服を制服として採用した日本で初めての学校であることが最近の調査で明らかになりました」

と紹介している。

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