「燃える男」星野仙一と「カミソリシュート」平松政次が野球殿堂入り。
二人の共通点は巨人キラー、岡山県出身。プロ野球黄金時代を思い起こさせる出来事となった。
2人とも巨人にふられた苦い経験
殿堂入りが発表されたのは2017年1月16日。注目されたのは星野(倉敷商-明大-中日)と平松(岡山東商-日本石油-大洋)だった。
「野球をやっていてよかった」
星野がそういえば、平松は感極まって言った。
「涙が出ました」
殿堂入りの条件は、75%の得票(84票)。星野88票、平松84票。平松はまさに薄氷を踏むような状態だったことが分かる。
この両投手の栄誉は、長嶋茂雄と王貞治が引っ張った無敵のV9巨人に立ち向かったプロ野球がもっとも輝いていた時代を呼び起こした。巨人とのドラマを二人とも持っている。
星野も平松もプロ入りのとき、巨人に振られた苦い経験を味わっている。
1968年秋のドラフト会議。1位指名で田淵幸一(法大)を直前に阪神に取られた巨人は高校生(神奈川・武相、島野修)を指名した。
「巨人は星と島を書き間違えたんじゃないのか」
中日から指名された星野は皮肉を込めたコメントを出した。これは星野語録として有名である。
というのは事前の約束で巨人から、田淵が取れなかったら君を指名する、と言われていたからだった。反古の真相を後年、当時の監督だった川上哲治から聞いている。
「ドラフト直前になって、星野は肩を痛めている、との情報が入った。それで方針を変えたんだよ」
2人とも巨人戦で勝ち越し
平松は甲子園の選抜、社会人の都市対抗でいずれも優勝(MVP橋戸賞を獲得)。やはり巨人から、1位指名で行く、と事前に言われていた。星野より2年前の66年秋のことで、巨人の指名はなく、大洋の2位指名を受けた。
「巨人を生涯のライバルとする」
星野、平松はそう宣言してダイナスティー巨人に立ち向かった。星野35勝、平松51勝。これまで巨人戦で勝ち越した投手は3人しかいない(もう一人は広島・川口和久)。
巨人の10連覇を阻止したのが「燃える男」星野なら、平松は「カミソリシュート」で長嶋を1割台に押さえ込んだ。二人には後日談があって、星野は川上から指名しなかった事情を説明され、以後は監督になったとき川上の背番号77をつけるなど尊敬に変わり、平松は巨人監督になった長嶋から「巨人に来て投げろ」と誘われている。
当時、阪神には村山実、江夏豊、広島に外木場義郎、ヤクルトに松岡弘とAクラスの豪腕がそろっていた。彼らが長嶋、王のON砲と対戦するシーンは見物だった。巨人戦の入場券がプラチナチケットになったほどである。
星野と平松と松岡は同郷である。ともに47年生まれだが、早生まれの星野が1学年上になる。倉敷商で星野の1年後輩になる松岡は「星野さんは怖かった」と言うと、岡山東商の平松は「倉敷商に行かなくてよかった」というやりとりがある。
ちなみに平松は甲子園優勝投手で名球会に入っている唯一である。王と柴田勲は打者として名球会入り。オールドファンの酒がすすんだ今年の殿堂入りだった。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)