2人とも巨人戦で勝ち越し
平松は甲子園の選抜、社会人の都市対抗でいずれも優勝(MVP橋戸賞を獲得)。やはり巨人から、1位指名で行く、と事前に言われていた。星野より2年前の66年秋のことで、巨人の指名はなく、大洋の2位指名を受けた。
「巨人を生涯のライバルとする」
星野、平松はそう宣言してダイナスティー巨人に立ち向かった。星野35勝、平松51勝。これまで巨人戦で勝ち越した投手は3人しかいない(もう一人は広島・川口和久)。
巨人の10連覇を阻止したのが「燃える男」星野なら、平松は「カミソリシュート」で長嶋を1割台に押さえ込んだ。二人には後日談があって、星野は川上から指名しなかった事情を説明され、以後は監督になったとき川上の背番号77をつけるなど尊敬に変わり、平松は巨人監督になった長嶋から「巨人に来て投げろ」と誘われている。
当時、阪神には村山実、江夏豊、広島に外木場義郎、ヤクルトに松岡弘とAクラスの豪腕がそろっていた。彼らが長嶋、王のON砲と対戦するシーンは見物だった。巨人戦の入場券がプラチナチケットになったほどである。
星野と平松と松岡は同郷である。ともに47年生まれだが、早生まれの星野が1学年上になる。倉敷商で星野の1年後輩になる松岡は「星野さんは怖かった」と言うと、岡山東商の平松は「倉敷商に行かなくてよかった」というやりとりがある。
ちなみに平松は甲子園優勝投手で名球会に入っている唯一である。王と柴田勲は打者として名球会入り。オールドファンの酒がすすんだ今年の殿堂入りだった。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)