「東洋の魔女」丸山サタさん死去 「2020年東京五輪まで元気でいて欲しかった」

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   1964年の東京五輪女子バレー日本代表の丸山サタ(旧姓、磯辺)さんが2016年12月18日に死去した。72歳だった。

   日本バレーボール協会が19日に発表した。

  • 最年少アタッカーとしてチームを金メダルに導いた(写真:アフロ)
    最年少アタッカーとしてチームを金メダルに導いた(写真:アフロ)
  • 最年少アタッカーとしてチームを金メダルに導いた(写真:アフロ)

当時、最年少レギュラーとして出場

   丸山さんは千葉県出身で、当時20歳の最年少レギュラーとして五輪に出場した。当時の日本代表は1961年の欧州遠征で22連勝した大日本紡績(現ユニチカ)の「日紡貝塚」のメンバーを中心に構成され、東京五輪では「東洋の魔女」の異名をとり、金メダルを獲得した。

   2016年10月に女子バレー日本代表監督に就任した元代表の中田久美さん(51)は日本バレーボール協会のホームページ上で、

「2020年、オリンピックのバレーボール競技が生誕した東京の地に、バレーボールが『里帰り』することを、丸山さんも楽しみにしてくださっていたものと思います。日本バレーの礎を築かれたお一人である丸山さんへの心からの感謝を胸に、『東京オリンピックで金メダル』を再現すべく、日本バレーボール界を挙げて全力で強化に取り組んで参ります」

とコメントを出した。

   葬儀は12月21日に執り行われる。

   ツイッターなどでは、

「あの感動を知らない現代人はかわいそうに思える」
   「せめて2020オリンピックまで元気でいて欲しかった」

などと悔やむコメントが寄せられている。

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