キューバのフィデル・カストロ氏死去 「革命の巨人」に日本でも悼む声続々

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   キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が現地時間2016年11月25日夜、亡くなった。90歳だった。実弟のラウル・カストロ国家評議会議長(85)が国営テレビを通じて発表した。死因は明らかになっていない。

   チェ・ゲバラとともにキューバ革命を成就し、「革命の英雄」として知られた。日本でも、ツイッター上で「革命家と呼ばれた最後の人が亡くなった」「何だかんだ言われたけど凄い人だった」と死を惜しむ書き込みが相次いでいる。

  • 安倍首相と会談するカストロ前議長(Cubadebate/ロイター/アフロ)
    安倍首相と会談するカストロ前議長(Cubadebate/ロイター/アフロ)
  • 1978年に行われたハバナでの演説時(Wikimedia Commonsより)
    1978年に行われたハバナでの演説時(Wikimedia Commonsより)
  • 安倍首相と会談するカストロ前議長(Cubadebate/ロイター/アフロ)
  • 1978年に行われたハバナでの演説時(Wikimedia Commonsより)

4月の演説で「私がここで話すのは最後かもしれない」

   カストロ前議長は1953年、チェ・ゲバラらと革命闘争を起こし、親米のバチスタ政権を打倒。59年1月に最高指導者として反米の社会主義政権を樹立した。

   後にキューバを去って他国の革命闘争へ参加したゲバラと異なり、東西冷戦のもとでソビエト連邦(当時)との関係を深めながら国内政治を安定化させた。

   1962年には、ソ連がキューバにミサイルを配置したことをめぐって米ソの対立が深刻化し、核戦争への緊張が高まる、いわゆる「キューバ危機」が起きている。

   長年にわたって指導的立場にあったが2006年に体調を崩し、08年に議長を退任。実弟のラウル・カストロ氏に政権を移譲した。

   しかし、以後もたびたび公の場に登場。16年4月19日に行われたキューバ共産党の党大会に出席し、「私がここで話すのは最後かもしれない」と言いつつも、「キューバ共産主義の理念は存在し続ける」と力強く宣言した。

広島を訪問して原爆の犠牲者に献花、黙とう

   2016年8月12日には共産党の機関紙「グランマ」電子版で、オバマ米大統領による広島訪問時の演説を、

「何十万人の住民を殺害したことへの謝罪の言葉が欠けていた」

と批判。太平洋戦争末期の広島、長崎への原爆投下を「犯罪的な行為だ」と厳しく指摘した。カストロ前議長は03年に来日した際に広島・平和記念公園を訪れて、原爆死没者慰霊碑に献花後、黙とうを捧げている。

   16年8月13日には首都ハバナで行われた卒寿を祝う式典に出席し、健在ぶりをアピールしていた。

   日本の首相としてキューバを初訪問した安倍晋三首相とも、9月22日に会合。「自宅は日本庭園だ」と語り、親日ぶりをアピールした。

   カストロ前議長の死をうけ、ツイッターでは

「また20世紀が遠くなる」
「革命家と呼ばれた最後の人が亡くなった」
「何だかんだ言われたけど凄い人だった」

と追悼の言葉が相次いでいる。

   加えて、「ゲバラと笑って再会できるといいね」「あの世でゲバラになんて言われるのかな」など、日本人に人気のチェ・ゲバラとからめたツイートも多くみられた。

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