キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が現地時間2016年11月25日夜、亡くなった。90歳だった。実弟のラウル・カストロ国家評議会議長(85)が国営テレビを通じて発表した。死因は明らかになっていない。
チェ・ゲバラとともにキューバ革命を成就し、「革命の英雄」として知られた。日本でも、ツイッター上で「革命家と呼ばれた最後の人が亡くなった」「何だかんだ言われたけど凄い人だった」と死を惜しむ書き込みが相次いでいる。
4月の演説で「私がここで話すのは最後かもしれない」
カストロ前議長は1953年、チェ・ゲバラらと革命闘争を起こし、親米のバチスタ政権を打倒。59年1月に最高指導者として反米の社会主義政権を樹立した。
後にキューバを去って他国の革命闘争へ参加したゲバラと異なり、東西冷戦のもとでソビエト連邦(当時)との関係を深めながら国内政治を安定化させた。
1962年には、ソ連がキューバにミサイルを配置したことをめぐって米ソの対立が深刻化し、核戦争への緊張が高まる、いわゆる「キューバ危機」が起きている。
長年にわたって指導的立場にあったが2006年に体調を崩し、08年に議長を退任。実弟のラウル・カストロ氏に政権を移譲した。
しかし、以後もたびたび公の場に登場。16年4月19日に行われたキューバ共産党の党大会に出席し、「私がここで話すのは最後かもしれない」と言いつつも、「キューバ共産主義の理念は存在し続ける」と力強く宣言した。