映画「いしゃ先生」に感動広がる へき地医療に献身した女医の一生描く

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   保険制度のなかった時代、貧しいへき地でほとんど無償の医療に献身したという女医さんの一生に素直に感動できた。

   2016年11月6日、東京・新宿で開かれた「歯と健康フォーラム」の今年の企画は、映画「いしゃ先生」の映写会だった。

  • 医療費自己負担増がささやかれる今だからこそ見たい(画像はイメージ)
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「貧しい人もへき地にいても、安心して医療を受けられるように」

   志田周子 (しだ・ちかこ) は山形県の無医村・大井沢村(現・西川町)の村長の娘。東京女子医専を卒業し、内科医として東京の病院に2年勤務していた昭和10 (1935) 年春、父親からの電報で帰郷した。建設中の村立診療所の医師を「3年間だけ」やってほしいとの願いにしぶしぶ承諾する。

   ところが村人は医療不信もあり、新米女医を受け入れない。姉を敬愛する弟や周子の努力で改善はしていくが、村人は貧しく医療費が払えない。東京に戻る日が近づいたころ、母が亡くなる。何人もの弟妹と父親を思って周子は村に留まる。その後の機会もそのつど失われ、結局、周子は東京の恋人との結婚も諦めて独身のまま、父親の死後もずっと村で過ごすことになる。

   献身的な活動が知られるようになり、周子は昭和34 (1959) 年秋、保健文化賞を受賞した。周子は挨拶で「貧しい人もへき地にいても、安心して医療を受けられる日が来るように」と訴えた。国民皆保険制度がスタートする直前だった。周子はそのわずか3年後に満51歳で亡くなった。

   上映前に脚本家あべ美佳さんと、フォーラム主催団体の東京歯科保険医協会理事である歯科医、森元主税さんの対談があった。森元さんは保険医協会の全国組織・全国保険医団体連合会(保団連)副会長を兼務している。

   2010年、町おこしとして周子の映画を作ろうとの企画が持ち上がり、同じ山形県出身のあべさんが脚本を申し出た。ところが、多額の資金が必要とはだれも思っておらず予算もない。あべさんがあちこち声をかけたところ、保団連が寄付に協力してくれ、13年5月から15年2月まで、映画の原作であるあべさんの小説「いしゃ先生」(PHP文芸文庫刊)を月3回発行の機関紙に連載させてくれた。町や町民の1000万円も含めて約5000万円が集まり、映画は15年秋に完成、今年1月から全国各地での上映が始まった。主演は平山あやさん。共演に榎木孝明さんら。

   森元さんは、医療費の自己負担増の流れを批判し、周子の思いに触れながら「安心して受けられる保険医療制度」の重要性を訴えた。(医療ジャーナリスト・田辺功)

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