戦後初めてのプロテニス選手として活躍した石黒修(おさむ)さんが80歳で逝去し、ネット上では追悼の声が上がっている。
テレビドラマや映画などで活躍する俳優の石黒賢さん(50)は、修さんの次男だ。
17年に入ってから、お別れ会の予定
日本プロテニス協会によると、石黒修さんは2016年11月9日早朝、病気療養中のところ東京都内の病院で亡くなった。
修さんは、慶応大学在学中に大学日本一となったほか、全日本選手権のシングルス、ダブルスなどで3回優勝した。英ウィンブルドン選手権にも、1961年から6年連続で出場し、63年には3回戦にまで進出している。71年にプロに転向し、翌年にはプロテニス協会を創設した。後進の育成にも力を注ぎ、後に松岡修造、錦織圭両選手らを輩出する礎を築いた。
修さんの影響から、賢さんも一時プロテニス選手を目指した。俳優としてデビュー後も、08年から衛星放送「WOWOW」でウィンブルドン中継のナビゲーターをするなどしている。
15年11月には、修さんは、名誉顧問としてプロテニス協会のセミナーで講演し、「日本のテニスとテニス人生」について話した。その際に、賢さんも対談相手として登場し、親子のテニス談義を実現させている。
その後、体調を崩して、しばらくの間、入退院を繰り返していたという。
通夜と告別式は、それぞれ14日18時から、15日13時から、ともに東京都渋谷区のカトリック渋谷教会で行われる。プロテニス協会では、17年に入ってから修さんのお別れ会を開く予定だ。