明治以来、長く日本のものづくりを支えてきた三菱重工業が苦境に陥っている。と言っても、「年間の経常損益が赤字に転落」というほど経営が悪化しているわけではないが、造船や航空機といった有力事業に暗雲が垂れ込めており、「四重苦」「六重苦」などの指摘も聞かれる。常に国家と寄り添い、「役人以上に役人的」とも言われる老舗企業で何が起きているのか。
「大型客船をつくることはコスト的に全く成り立たない。当分無理だと思う」。2016年10月18日、東京都内で記者会見した三菱重工の宮永俊一社長はこう述べ、10万トン超の大型客船事業からの事実上の撤退を発表した。造船事業は三菱重工にとって、「創業者」の岩崎弥太郎が長崎で明治時代から携わった「祖業」と言える分野だけに、社長の表情にも苦渋の色がにじんだ。
評価委「本社のリスク管理の不十分さ」など指摘
問題の大型客船は2011年にドイツのアイーダ・クルーズ社から受注したもので、12万トン級2隻。しかし、設計や建造に手間取り、納入が遅れるなどした結果、16年3月期までに約2400億円の損失を計上した。記者会見の主な発表内容は、巨額損失を出した原因を検証した社内評価委員会の結果の公表。評価委は、「プロジェクト運営の能力不足」や「本社のリスク管理の不十分さ」などを厳しく指摘した。
評価委の指摘通り、大型客船事業の失敗については、本社のリスク管理の甘さがあったようだ。三菱重工は戦後の財閥解体によって地域別に3分割され、1964年に再合併した歴史がある。「地域独立」色の濃い分割時代の社風は今も残り、実質的に強い権限を持っていることが多い。特に大型客船を建造した「長崎造船所」は三菱財閥の始祖・岩崎弥太郎が1884年に政府から借り受けたのが始まりで、かつては所長が社長より格上とまで言われたほどだ。当然、その裏返しとして本社の目が行き届かず、本社主導によるリスク管理もままならないというわけだ。
大損失を出した大型客船については、社内にさほど経験が蓄積された事業でないにもかかわらず、現場の楽観的な判断で受注した模様だ。その結果、西洋風の内装工事などのノウハウ不足で発注者の要求に細かく対応できず、部材の調達先変更などの「やり直し」が続出し、損失が膨らんでしまった。
MRJの納期大幅遅れや原発事業の壁
今後の造船事業は液化天然ガス(LNG)船のほか、5万~10万トン級のフェリーや中小型客船に注力する方針。また、今治造船(愛媛県今治市)、大島造船所(長崎県西海市)、名村造船所(大阪市)と進めている提携協議を2016年度中にまとめ、船の設計は三菱重工が担う、などの役割分担を図る。将来的には造船事業を分社化し、今治など3社と資本提携することも視野に入れている。
造船と並ぶ三菱重工が抱える「苦」と言えば、子会社「三菱航空機」が開発中のジェット旅客機「MRJ」の納期が大幅に遅れていることだ。燃費の良さを売りにしているが、あまり遅れるようだとライバルに追いつかれ、受注に影響しかねない。
さらに原発事業は(1)トルコでのプラント受注が不透明、(2)米国で巨額賠償問題に直面、(3)核燃料事業を日立製作所、東芝と統合する計画がメリットに乏しい――と壁にぶつかっている。また、火力発電プラント事業についての日立との共同出資企業「三菱日立パワーシステムズ」も、受注案件の損失負担を巡ってトラブルとなっている。
まさに「あっちからもこっちからも火の手が上がっている」(三菱重工関係者)ような状態。防衛装備品をはじめとする明治以来の官需や、各業界のメーカーに納める産業機械などのおかげで、さすがに通期決算で経常赤字に陥ることはない。しかし、仮に軽自動車の燃費不正問題に揺れた三菱自動車の面倒まで見ることになったら、「本体」の三菱重工まで揺らぎかねないところだった。そこは、日産自動車が資本提携してくれたことで何とか助かった形だ。