三笠宮さま逝去 戦後は古代オリエント史を研究

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東京女子大に「宮さまうどん」

   気さくな人柄で知られ、自然体で多くの人と付き合い、ファンが多かった。東京女子大で教えていた時は、学内食堂で「きつねうどん」をよく食べていた。「宮さまうどん」と呼ばれた。フォークダンスが大好きで女子学生たちと踊ることもあった。

   研究者として、何度も中東を訪れ、ヘルメット姿で発掘作業に関わった。『古代エジプトの神々-その誕生と発展』(日本放送出版協会、88年)、『文明のあけぼの - 古代オリエントの世界』(集英社、02年)、『わが歴史研究の七十年』(学生社、08年)など多数の著書や翻訳書、監修本を残した。日本オリエント学会の会長や、東京都三鷹市に設立された中近東文化センターの総裁も務めた。

   近年は最長老皇族の立場だった。ご夫妻には男性3人、女性2人のお子さま方がいたが、三男高円宮憲仁さまは02年11月に急逝。長男寛仁さまは12年6月に、次男の桂宮宜仁さまは14年6月に亡くなっている。男系の男孫はいなかった。長女の甯子さまは日本赤十字社社長近衛忠煇夫人、次女の容子さまは 裏千家家元千宗室夫人。

   寛仁さまの長女、彬子さまは日本美術史を専攻し、オックスフォード大で博士号を取得、研究者の道に進んだ。三笠宮さまの衣鉢を継いで中近東文化センター総裁や日本・トルコ協会総裁を務めている。

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