満員電車で東大に通う
終戦時、三笠宮さまは29歳。耐乏生活が続いたが、一転、学究の道を目指す。きっかけは中国赴任中に感じていた疑問だ。白人の宣教師はなぜ人里離れた山奥に1人とどまり、中国人を相手に神の愛を説くのか。あるいは八路軍(中共軍)はなぜ自給自足で日本軍に抵抗し、民衆、特に婦女子にたいする軍紀は厳粛に保たれているのか。
人間の情熱を駆り立てる根本的な要因を探求してみたいと考え、東大文学部の研究生に。まずヨーロッパの宗教改革の勉強から始めた。さらに原始キリスト教、ヘブライ史、オリエント史へとさかのぼる。旧約聖書はヘブライ語で読み、英語は駐日カナダ代表部の首席ハーバード・ノーマン氏に、フランス語はフランス文学の泰斗、渡辺一夫氏に教わった。
当時の心境について、「過去のあらゆるものに失望し、信頼をなくしていた私は、何から何まですべてを新しいものの中から探しもとめねばならなかった」と語っている。
住んでいた目黒から、満員電車やバスに乗って東大へ。時にはダットサンの自家用小型トラックを自分で運転して通った。お弁当持参。皇族としての公務もあり、授業に出席できない時は友人にノートを借り、夜のうちに百合子妃に写してもらった。難解な専門用語だらけ。「それは教室で筆記するより大変だったろう」と、結婚70周年の所感で妻への感謝をつづっている。