第1、第2夫人とはすでに別居していた
これだけでは怒りは収まらず、「あなた弁護士として、さ、さ、最低ですね!さっきからあなたの言ってることおかしいです!すごいおかしい、何言ってるんですか!」と猛抗議。北村氏の反論を封殺しながら、
「この方はね、男の浮気を許すものだと私の例まで言ってるんですよ!」
「最近(テレビに)呼ばれるからって、いい気になるんじゃないですよ!」
と訴えた。最終的には、南海キャンディーズの山里亮太さん(39)が「夫人!このテンションでいくと、もうこのあと誰もしゃべれないです」とツッコんでようやく場が収まったが、夫人の怒りは相当なものだったようだ。
インドネシアは一夫多妻制であり、デヴィ夫人が第3夫人であったことは事実だ。しかし「実質的」には第1夫人だった――というのが当人の主張のようである。2014年6月放送の「中居正広の金曜日のスマたちへ」(現:スマイルたちへ)では、デヴィ夫人自らその経緯を詳しく解説していた。
曰く、スカルノ元大統領は2度の離婚を経験し、3度目の結婚相手が「第1夫人」となった。その後2人は別れることになったが、スカルノ氏は授かった5人の子供のことを思い、離婚ではなく別居という形を選択した。4度目の結婚相手(第2夫人)は国民から拒否されため、スカルノ氏はまたもや別居することに。そこで現れたのが5度目の結婚相手であるデヴィ夫人(第3夫人)だった。
つまり5度目の結婚時点で、他の妻との関係はすでに終わっており、デヴィ夫人が大統領官邸で他の妻と一緒に住むようなことはなかったという説明だった。