2016年9月のリオデジャネイロ・パラリンピックで日本は銀メダル10個、銅メダル14個を獲得した。半面、「金メダルゼロ」という点もクローズアップされた。
ツイッターでは、まるで五輪と同じように、パラリンピックでもメダル競争にばかり焦点を当てるべきではないとの批判や、「金ゼロ」だったからこそ障害者スポーツにもっと力を入れるべきとの声が出ている。
選手個人は悔しくて当然だが、応援する立場の人は?
リオ・パラリンピックが閉幕した9月19日、主要メディアでは「日本、初の金メダルなし」「金ゼロ」といった見出しが多く見られた。1964年の東京大会から続いていた金メダルが途切れたのだから、確かに大きなニュースだ。「次回、東京開催に向け、課題を残しました」と指摘する報道もあった。
この部分だけを見ると、パラリンピックでも「参加することの意義」よりメダル、しかも金メダル獲得こそが大事なのかと受け取る人もいるようだ。ツイッターには、こんな書き込みが見られた。
「パラリンピックの選手たちまで、金メダルの数を競わされるのか」
「やたらに金メダルゼロ、を連発しとるけども、そんな事関係無い!」
「金メダル0でも問題ないと思う」
一方、千葉市長の熊谷俊人氏は少々考え方が違う。閉会式前日の9月18日にこうツイートした。
「リオ・パラリンピックで日本は金メダルが現時点でゼロ。『障害者なんだからメダルにこだわらなくて良い』という意見も聞こえてきますが、アスリートに障害のある無しは関係ありません。誰よりも悔しい思いをしているのは彼ら彼女らであり、私たちは障害者スポーツをもっと支援していく必要があります」
競技者自身にとっては、勝負である以上金メダルを目指し、負ければ悔しいのは当然だろう。一方、応援する側の立場から「金ゼロ」をどうとらえるか、意見はさまざまだ。
例えば日刊スポーツの首藤正徳記者は9月19日付の同紙電子版記事で、今大会の世界新記録の約半数は、国家を挙げて強化に取り組んだ中国とウクライナの選手がマークしている事実を指摘する一方で、「つい最近まで競技団体の運営費さえ事欠いていた日本と比較しても仕方がない。そもそも五輪をまねてメダル数を目標に掲げる必要があったのか」と疑問を投げかけた。