「五輪の名花」とうたわれた女子体操のベラ・チャスラフスカさん死去(2016年8月30日、74歳)のニュースは世界を駆け巡った。政治に巻き込まれて数奇な運命をたどった人生は、日本選手には考えられないことだった。
チェコスロバキア(当時)の代表の彼女が世界のヒロインに躍り出たのは1964年の東京五輪だった。その美しさは爆発的な人気を呼んだ。
「大人の美」
なにしろ日本のファンが大会中にプレゼントを贈り続け、それはトラック1台分をはるかに超えたという。日本刀もその中の一つだったというから注目度の高さがうかがえる。
3つの金メダルを手中にした。個人総合、平均台、跳馬である。その演技のスタイルは現在とは全く違った。
「大人の美」
まさにこれだった。もう50年前のことだから古典的な感じがするけれども、見る者がうっとりする演技という点では、彼女をしのぐ選手は出ていない。
のちにコマネチがブレークしたが、チャスラフスカと比べると、残念ながら影が薄い。
現在は小柄な選手が高度な技術を競う。まるでサーカスのような演技に驚くけれども、そこに美はあまり感じられない。
「プラハの春」と政権からの監視
チャスラフスカは、有名ゆえに政治にほんろうされた。
東京五輪から帰国すると、自由への運動が盛んになった。「プラハの春」である。彼女はそれを支持し、政権から監視される身となった。
そんな状況のなかで出場したのが1968年のメキシコ五輪である。
調整不足ながら4つの金メダルを獲得した。
「体操の名花、健在」
世界は沸きに沸いた。とりわけ日本は大騒ぎで、自国の代表選手の成績よりも興奮したのを覚えている。
チャスラフスカは最後まで自由を訴え続けた。スポーツのスーパースターとはほど遠い質素な生活をしていた。最後はアパートに住み、年金でまかなっていたという。
2020年の東京五輪のとき、元気だったならば必ず招待されていただろう。いまの日本の若いアスリートに見せたい「魅惑の選手」だった。
(一部敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)