「プラハの春」と政権からの監視
チャスラフスカは、有名ゆえに政治にほんろうされた。
東京五輪から帰国すると、自由への運動が盛んになった。「プラハの春」である。彼女はそれを支持し、政権から監視される身となった。
そんな状況のなかで出場したのが1968年のメキシコ五輪である。
調整不足ながら4つの金メダルを獲得した。
「体操の名花、健在」
世界は沸きに沸いた。とりわけ日本は大騒ぎで、自国の代表選手の成績よりも興奮したのを覚えている。
チャスラフスカは最後まで自由を訴え続けた。スポーツのスーパースターとはほど遠い質素な生活をしていた。最後はアパートに住み、年金でまかなっていたという。
2020年の東京五輪のとき、元気だったならば必ず招待されていただろう。いまの日本の若いアスリートに見せたい「魅惑の選手」だった。
(一部敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)