「五輪の名花」チャスラフスカさん死去 東京大会で「金」3つ 

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   1964年の東京五輪の女子体操で3つの金メダルを獲得し、その優美な演技から「オリンピックの名花」とたたえられた、旧チェコスロバキア出身のベラ・チャスラフスカさんが2016年8月30日、亡くなった。74歳。チェコのCTK通信など複数の海外メディアが伝えた。

  • 「オリンピックの名花」ベラ・チャスラフスカさん(写真:TopFoto/アフロ)
    「オリンピックの名花」ベラ・チャスラフスカさん(写真:TopFoto/アフロ)
  • 「オリンピックの名花」ベラ・チャスラフスカさん(写真:TopFoto/アフロ)

「プラハの春」支持、迫害乗り越えメキシコで個人総合連覇

   チェコスロバキア(当時)代表として東京五輪では、個人総合、平均台、跳馬で金メダルに輝き、4年後のメキシコ五輪では個人総合で2連覇を果たし、跳馬と段違い平行棒、ゆかで優勝を飾った。両五輪ではほかに団体総合などで銀3個、1960年のローマ五輪でも団体総合で銀を獲得しており、3度の五輪出場で金7、銀4と計11個のメダルを獲得した。

   68年のメキシコ五輪開催前、チェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」を支持し市民の改革への期待を表明する「二千語宣言」に署名。その後、ワルシャワ条約機構による軍事介入(プラハ侵攻)でチャスラフスカさんは身を隠さざるを得なかったが、その後出国が許可され、五輪参加がかなった。

   その後も宣言署名により国内で迫害を受けたが、89年に実現した民主化で名誉を回復。チェコ五輪委員会会長も務めた。

   家庭内の問題から体調を崩し消息が伝えられなくなったこともあったが、健康が回復した2000年以降は日本をたびたび訪れていた。

   15年4月にすい臓にがんが見つかり手術を受けたのち、治療しながら講演などを続けていたという。

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