脊髄損傷で体が完全麻痺した患者が、仮想現実トレーニングによって麻痺が改善し、支持具の助けを借りて歩けるようになり、性生活が復活して子どもをうめるようになった――。
そんな画期的な研究成果を米デューク大学のチームがまとめ、英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」(電子版)2016年8月11日号に発表した。
仮想空間で自分の分身を動かす訓練が脳を刺激
わが国では毎年約5000人が交通事故などで脊髄損傷になり、体が麻痺したままの脊髄損傷患者は約20万人に達する。世界で約250万人いるといわれる。損傷した脊髄を完治する方法は確立されていない。iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った神経組織の移植研究が進んでいるが、まだマウスの実験段階だ。
研究チームは、脊髄損傷により下半身が完全に麻痺している男性6人と女性2人を対象に、次のようなトレーニングを1年半以上続けた。
(1)まず、患者自身が自分のアバター(分身)をコンピューター内の3次元の仮想現実空間で操作する方法を習得する。
(2)脳波を記録する11個の電極がついた帽子をかぶる。そして、デジタルの3次元空間内でアバターの足を動かし、歩くことを想像することを練習する。
(3)最初は、足を動かす脳の部位の電極は点灯しなかったが、数か月のトレーニングの結果、その部位が覚せいし始め、電極が点灯するようになる。
(4)続いて、歩く姿勢を維持するために、上半身を支える器具を装着して体を動かすトレーニングに進む。映画「アイアンマン」で主人公が身に着けるようなロボットスーツだ。それを、頭上から吊り上げるハーネスを使い、体重を支えながら行なう。
「子どもを生みたい」「陣痛を感じることができた」
こうしたトレーニングを13か月間続けた結果、32歳の女性に劇的な改善がみられた。彼女は下半身が麻痺して10年以上経過しており、支持具の力を借りても立ちあがることができなかった。しかし、訓練のおかげで下半身の皮膚や体内の感覚が戻ってきた。支持具と理学療法士の助けを借りて立ち上がり、ハーネスで体を吊り下げて歩くことができるようになった。そして、「子どもを生む」と決めて性行為を行ない、「陣痛を感じることができた」という。
計8人の被験者のうち、彼女以外の7人全員の麻痺が改善し、うち3人が「部分麻痺」の状態にまで向上したという。
AFP通信の取材に対し、チームリーダーの同大の神経学者ミゲル・ニコレリス博士はこう語っている。
「プロジェクトを始めた時は、このような驚くべき結果は予想していませんでした。完全麻痺と診断された患者でも、ある程度、脊髄神経が無傷のまま残っていると考えられます。こうした神経は大脳から筋肉への信号が送られてこないため眠っていました。アバターを動かすトレーニングによって信号が復活し、神経を再び点火させることができたのでしょう」
ニコレリス博士は「残っている神経繊維が少なくても、脳の運動野から脊髄に信号を送るには十分である可能性が高い」と指摘している。イメージトレーニングをあきらめずに続けることが大切なのかもしれない。