文才豊かな勝負師だった 異端児・豊田泰光の死去

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野球殿堂入りの理由は「優れた野球評論」

   三原さんに言わせると、豊田さんは「打撃はいいが、守備はからっきしダメ」だった。平気でトンネルした。エースだった稲尾和久が「トヨさん、お願いしますよ」と言うと、逆に「オレのところへ打たすお前が悪い」。野武士軍団の象徴と言われた男の真骨頂を示すエピソードである。

   荒法師の別名を持つ力まかせの選手かというとそうではなかった。チームプレーを常に考える脇役もこなした。球史に残る日本シリーズで巨人を3年連続でたたいたとき、勝負どころで自ら送りバントを選択してチームを勝利に導いたときは、三原監督をうならせた。

   こんな豊田さんの意外な才能は現役を退いて評論家一筋になってから発揮された。自らペンを取って活字の世界で活躍したのである。

「優れた野球評論」

   2006年に野球殿堂入りしたときの理由の一つだった。新聞に連載した評論が高く評価された。プロ野球OBでは珍しい存在だった。

   不思議なことがあって、一度も監督をしていないのだ。1972年に近鉄のコーチになったときは次期監督の路線だったといわれたが、1シーズンだけで退団した。指揮を執っていたら、きっと「絵になる監督」だったろうし、長嶋巨人との対戦は話題となったと思う。

   (敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)

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