中日・谷繁元信監督の休養は球界に激震が走った。この出来事で表面化したのは首脳陣のいがみ合い、無責任さ。「冷戦状態」といった声も出た。
「寝耳に水、不本意だ。悔しい」
谷繁監督は休養会見で唇をかんだ。2016年8月9日のことである。この日、球団から呼び出され、指揮権剥奪の通告を受けた。
「事実上の解任です」
谷繁はその後、ナゴヤドームでのヤクルト戦を前に、選手たちに別れを告げた。監督代行は森繁和コーチとなり、後任監督には早くも小笠原道大・二軍監督の名前が流れた。
「事実上の解任です。成績不振を理由にされたら言い訳はきかない」
担当記者はそう解説する。そんなメディアは総体的に谷繁に同情的だった。複雑な事情が絡んでる、と直感したが、やはり不振の責任といった単純なものではなかった。
休養会見には球団から社長、代表が並んだ。それと谷繁と同時に休養通告された佐伯貴弘守備コーチ。チームを統括する落合博満ゼネラルマネジャー(GM)は出席しなかった。ここに監督休養の不可解さがあった。
「GMと谷繁は冷戦状態だった」
関係者の間からこんな見方がある。確か、谷繁を監督兼捕手のプレーイングマネジャーに抜擢したのは落合GMだったはず。それから3年、両者の間は冷え切っていたというのが周囲の目だったという。
中日は今(2016)年が球団創立80周年。オーナーが「ぜひ優勝を」と求めたが、現実は、谷繁はコーチ陣を自分で組閣できなかったなど、現場とフロントは不協和音があったという。GMにつながりのあるコーチを押しつけられたばかりか、知らない間に新しいコーチが加わったそうである。
「プロは結果がすべて」
また戦力補強についてもカヤの外だったといわれ、監督はお飾りだった、と指摘する記者もいる。
つまり谷繁ドラゴンズではなかったわけである。
フロントは必死になって協力を強調した。いわく「現役を退き専任監督にした」「外国人選手を獲得した」「ベテランから若手に切り替えた」など。谷繁の意思がその内容に反映されていたのかどうか。責任だけ押しつけられた感じがしないでもない。
「プロは結果がすべて」
社長の言葉である。背広組は無罪、という便利な言い方は、監督解任劇でこれまでも使われてきた。
名古屋を本拠とする中日は地域性が強い。そのためファンの声に反応する。親会社が新聞社だから、なおさらである。またOB会の影響力も大きい。チーム生え抜きではない落合や谷繁との関係も取り沙汰されることが少なくない。チーム一丸にはほど遠いといっていいだろう。
GM制度がある以上、落合が休養会見で発表するべきだった。現役時代の落合を言い表した「オレ流」で通用する話ではない。チームにとって、選手にとって一大事なのだから、GMの存在を示す格好の場だったと思う。
選手の多くは谷繁の退陣を惜しんだ。
「野球を教えてもらった。感謝しかない」(ベテラン打者)
「現在あるのは監督のおかげだ」(主力投手)
それでもクビを切られるのがプロ野球の監督なのである。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)