男性よりはるかに強い喜びがあるという女性のオーガズムは、生物学上大きな謎だった。男性の場合は精子を放出するという明確な目的があるが、女性はオーガズムがなくても生殖可能だからだ。
2000年以上前から科学者を悩ませてきたが、最新研究で、「生殖に役に立っていない進化の過程で消えた遺物」という実もふたもない結果が出た。ただし、男女の絆を深めており、ご先祖様からの「幸運な置き土産」だという。
オーガズムは役立たずの「設計ミス」?
この新説をまとめたのは、米エール大学の進化生物学のチーム。実験動物学誌「Journal of Experimental Zoology」(電子版)の2016年8月1日号に発表した。その内容を紹介する前に、科学者がどれだけ女性のオーガズムに困惑してきたか、おさらいしよう。
多くの哺乳類のメスは発情期になると、オスと交尾をして子どもを生む。交尾の最中にオーガズムに達すると、特定のホルモン値が急上昇して排卵を促し受精する。だから、オーガズムが生殖行動には欠かせないわけだ。そのため、膣の内部にクリトリスがあり、オスのペニスの摩擦によってすぐにオーガズムに達する構造になっている。
ところが、人間の女性は、毎月周期的に「排卵期」が訪れ、その時期に性交すると受精するため、生殖行動にはオーガズムは必要ない。クリトリスも膣から2~3センチ離れた場所にあり、ペニスの挿入による刺激だけではオーガズムに達することが難しくなった。米国のある調査では、女性の70~90%が単純なピストン運動だけでは絶頂に達しないという。
このため、女性科学者の中には「女性は、性行為でオーガズムを感じなくても容易に妊娠することができる。一般的に、オーガズムは性行為を促す報酬であるとされているが、感じない場合もあることを考えると、設計ミスだというべきだ」(米生物哲学者エリザベス・ロイド氏)という意見さえある。
何のために女性にオーガズムがあるのか、その生物学的な意味について古代ギリシャ以来、様々な説が出されてきた。主なものを紹介すると――。
ペニスの先端に超小型カメラを装着して観察すると...
(1)紀元前4世紀、哲学者アリストテレスは「オーガズム中に子宮頸部が収縮し、精液を吸い寄せて受胎を助ける」と書いた(いわゆる『精液吸引説』の始まり)。「精液吸引説」は21世紀まで続き、2009年、進化生物学者ロビン・ベイカーが、著書『精子戦争』の中で「女性のオーガズムは、受精したい男とセックスする時は精子を取り込み、逆に受精したくない男の精子は体外に吐き出すフィルターの役目を果たす」と発表した。ベイカーは実際にペニスの先端に超小型カメラを装着、子宮頸部がリズミカルに動いて射精された精液を吸いこむところを確認したという。
(2)一方、1994年に米のインターネットテレビ局が性のドキュメント番組で、性交中の女性の膣内に光ファイバーカメラを挿入して撮影した。オーガズムに達した途端、膣内の骨盤筋肉群が収縮、精液が移動する光景が公開されたが、「精液吸引」があったかどうか確認できず、賛否両論が巻き起こった。別のエックス線によるオーガズムシーン撮影研究でも否定的な結果が出ている。
(3)1967年、米の進化生物学者デズモンド・モリスが著書『裸のサル』の中で、「女性のオーガズムは、乱婚や一夫多妻の他の霊長類と違って、人類が一夫一妻制になる過程で、男性パートナーとの肉体的な絆を深めるために進化した」という新説を発表した。女性がオーガズムを得るためには「濃厚な性交」をしなくてはならない。そのことが男女の絆を強めると同時に、女性が、他の霊長類のメスのように力が強いだけのオスを選択せずに、優しさや忍耐力、気配り、知性といった特質を持つ男性を選ぶように進化したというのだ。
感じにくくなったから男女の絆が深まる
さて、エール大学の研究を説明しよう。研究チームは、これまで発表された多くの哺乳類の研究をもとに哺乳類の排卵の進化モデルをつくった。その結果、多くの哺乳類の排卵には、プロラクチンとオキシトシンというホルモンが関係していることがわかった。そして、人間の女性がオーガズムに達する時も、プロラクチンとオキシトシンの値が急上昇することを発見したという。
研究チームリーダーのギュンター・ワーグナー博士は、こう説明する。
「このことは、人間の女性のオーガズムも、もともとは排卵行動に起源をもっていたことを示しています。私たちが作成した進化モデルを約6000~6500万年前の哺乳類の共通祖先まで戻すと、その時点からメスが排卵を誘発するためには、オスの刺激によるオーガズムが必要だったことがわかりました」
当時の哺乳類は、クリトリスが交尾管(膣)の内部にあった。しかし、人間の先祖の霊長類が周期的に排卵するように進化すると、排卵のためのオーガズムは不要になり、クリトリスの位置が徐々に膣外に移動していった。
ワーグナー博士はこう語っている。
「だから、多くの女性が性交中にオーガズムを得られなくなったのは、進化の結果から自然なことなのです。しかし、クリトリスが外に出たことによって自慰行動や男性によるクリトリスの愛撫で、オーガズムに達することができるようになりました。これは一夫一妻関係を深める付加的な役割を獲得したといえます。太古の祖先の遺物が人間に幸運な置き土産を残したのです」