マーリンズのイチローが2016年8月7日(現地時間)、大リーグ30人目の3000安打を記録した。日本選手としては初の快挙で、日米の殿堂入りは確実となった。
イチローが快挙を達成したとき、こんな言葉を思い出した。
「大リーグに追いつき、追い越せ」
これは巨人軍の創設者でプロ野球の父といわれる正力松太郎が語ったものである。
観客はスタンディングオベーション
日本で大リーグの数字を追い抜いた選手は、いる。王貞治の本塁打、福本豊の盗塁、衣笠祥雄の連続試合出場などだ。もちろん彼らの記録は偉大で、大リーグでもよく知られている。
けれども、大リーグの中で記録を作ったイチローは、正力の思いをついに成し遂げたといっていい。
大リーグの3000安打は、とてつもない出来事である。なにしろイチローまでたった29人しかいなかった。達成者は「3000本クラブ」と呼ばれ、打者にとって夢となっている。
イチローは記録まであと2本と迫ってから10打席打てなかった。
「苦しかった」
その間の気持ちを素直に吐露した。毎シーズン200安打を打ちまくった男が初めて味わったプレッシャーだったのだろう。
記念の一打は右越えの3塁打で、持ち味である俊足も併せて示した。観客はスタンディングオベーション、グラウンドでは両軍選手が拍手を持って祝福した。
この3000安打は平和な時代に作った打者がほとんどである。
自己管理が行き届いていた証拠
かつて大リーガーは第2次世界大戦に従軍した。そのため、その記録に届かなかった選手もいた。
日本でも知られる最後の4割打者、レッドソックスのテッド・ウィリアムスは1943年から3年間も兵役に就いた。25歳からの全盛期で、シーズン180安打は確実のときだった。通算2654安打に終わった。
ウィリアムスのライバルで56試合連続安打の不滅の記録を持つヤンキースのジョー・ディマジオも同じときに戦地に出た。30歳前後の円熟期だっただけに惜しまれる。カカトの故障もあって通算2214安打だったけれども、兵役がなければ到達した可能性があった。
ちなみにベーブ・ルースは2873安打、三冠王のルー・ゲーリッグは2721安打、同じくミッキー・マントルは2415安打で終わった。ゲーリッグはALS(筋萎縮性側索硬化症)に襲われ、マントルは足の故障が響いた。
イチローの大リーグ生活を振り返ってみると、故障がなかった。自己管理が行き届いていた証拠である。マーリンズに移籍したとき、レギュラー候補でなかった。にもかかわらずコンディションを常に保っていたことは素晴らしいとしか言いようがない。
まさに「無事之名馬」
3000安打を記録したことで、クーパーズタウンの野球殿堂入りは間違いないだろう。日本の殿堂入りも確実である。資格はユニホームを脱いで5年経たときで、日米同時もありうる。
こんなイチローだが、実は一度もワールドシリーズに出場していない。大リーガーの最大の目標は、ワールドシリーズでのプレーである。日本のファンはその代名詞であるオータム・クラシックでの姿を見たいところだ。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)