自民党東京都連の幹部らが辞任を表明し、「小池百合子知事VS都議会」の戦いはまず小池氏に軍配が上がった。しかし、これで終わりとは言えないようなのだ。
まさに、総崩れだった。2016年8月4日に行われた自民都連の幹部会では、石原伸晃都連会長が7月の都知事選敗北の責任を取って辞任を表明し、内田茂幹事長ら幹部4人もそれにならった。
選挙区割りの面でも異例の待遇
「都議会のドン」こと内田氏は、都議会議長をしていた3年間を除き、1996年から20年間も幹事長を務めていた。その体制が、いったんは区切りを迎えることになる。
しかし、これで内田氏支配が終わったと見るのは早計のようだ。
内田氏は実は、民主党が躍進した2009年7月の都議選で落選したことがある。政治家は落選すれば「ただの人」と呼ばれるが、内田氏は例外だった。なんと議員ではないのに幹事長に留まり、影響力を保持し続けたのだ。そして、13年6月の都議選で復活当選を果たしている。
こうした経緯から、幹事長を辞めた後も、自民都連で院政を敷くなどして、小池都政に壁として立ちはだかるのではないかと見る向きも多い。
内田氏は、選挙区割りの面でも異例の待遇を受けている、との指摘も出ている。
選出された千代田区は、ほかの選挙区に比べて人口が少ないのにも関わらず定数1となっているからだ。
もっとも、それには経緯がある。公選法に基づく都議会議員定数条例で、千代田区は島部とともに選挙区の特例とされた。日本の政治・経済の中心地で、23ある特別区の代表というのが理由だった。
しかし、1票の格差が問題になり、13年の都議選では、元最高裁判事が千代田区を特例としたのは違憲だとして選挙のやり直しを求めて提訴した。