国際的に活躍したピアニストの中村紘子(なかむら・ひろこ、本名・福田紘子=ふくだ・ひろこ)さんが2016年7月26日、大腸がんのため死去した。72歳だった。夫は芥川賞作家の庄司薫氏。
さまざまなコンクールの審査員、審査委員長なども務めて後進の育成にも尽力。大宅ノンフィクション賞を受賞するなど文筆も達者で、テレビや雑誌などメディアにも数多く登場した。一ピアニストにとどまらない人気と知名度を誇った人だった。晩年はがんとの闘病生活が続き、再起を期していたが、かなわなかった。
天才少女として知られる
1944年、疎開先の山梨県で生まれ、3歳からピアノを始め天才少女と評判になる。59年、慶應中等部3年在学中に「音楽コンクール」(現・日本音楽コンクール)で史上最年少の第1位特賞となり、早くも楽壇デビュー。翌年には、NHK交響楽団の世界一周演奏旅行のソリストに。63年から米国ジュリアード音楽院で学び、65年にショパン国際ピアノコンクールで第4位に入賞。日本人としては2人目の入賞で、世界的に注目されるようになった。
その後もN響の海外公演や、国際的な音楽祭への出演など海外で活躍した。音楽評論家の中河原理氏は「朝日人物事典」で、「演奏はわかりやすく多くの人に親しまれ、魅力ある容貌ともども大衆的な人気を誇った」と評している。
母親は著名な銀座の画廊「月光荘」経営に関わり、文化サロンを主宰。政界、経済界、文壇などに幅広い有名人のネットワークがあった。中村さんはその娘ということでも知られ、内外の著名人との交遊も深かった。