IOCがビビった「冷戦復活」 露ドーピング問題と国際政治

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   五輪のドーピング事件は世界を巻き込んだ異例の事態となっている。非難を浴びたIOCの判断は、スポーツを超越した「冷戦復活」を恐れたのではないか。

   IOC(国際オリンピック委員会)の裁定は、バッハ会長から淡々と語られた。

   こういうことである。

「ロシアを全面的に排除しない」
  • IOCの判断をどう捉えるか(画像はイメージ)
    IOCの判断をどう捉えるか(画像はイメージ)
  • IOCの判断をどう捉えるか(画像はイメージ)

「バッハはプーチンのプードルだ」

   国家ぐるみのドーピング疑惑による選手のリオ大会出場に道筋を残し、出場の判断は各競技団体にまかせるというものだった。丸投げだ、との非難が各国メディアから浴びせられた。

「バッハはプーチン(ロシア大統領)のプードルだ」

   この過激な論評はその代表的なものだった。

「ファンに不満、混乱をもたらした」(カナダCBC)
「こんな臆病な決定は過去にない」(英国タイムズ)

   ハシゴを外された形なのがWADA(世界反ドーピング機関)である。ロシアの疑惑を調査し、厳しい処分の材料を提供しただけに空しさが残った。

「将来の内部告発者にどう影響するか」

   今回の騒動の発端は、ロシアの女子陸上選手の告発からだった。その選手が、IOCが今回示した出場条件に合致しないためにリオ大会の出場は不可能になった。このこともプーチンとバッハの関係が疑問視された理由の一つになっている。

   当初はIOCに米国の圧力がかかったといわれた。対ロシアへの強烈な牽制球だった。要するに、かつて世界を、米国を軸とした西側、ソ連(現ロシア)を軸とした東側に二分した「冷戦時代」が、スポーツをきっかけに復活する危機をIOCは恐れたのではないか。

政治抜きでは成り立たないスポーツ国際大会

   小生は、通信社の記者として1980年のモスクワ五輪を取材することになっていたが、ソ連がアフガニスタンを攻め込んだとして西側諸国が大会をボイコットしたため取りやめとなった。84年のロサンゼルス大会は特派員として取材にあたった。

   このときは東側諸国が報復処置として大会をボイコットしたが、ルーマニアだけは出場。モントリオール、モスクワ大会で金メダルを獲得したあと引退していた、同国体操女子のコマネチの亡命騒ぎが注目されるなど、冷戦の余波が陰を落とした。

   モスクワ大会のボイコットはまさしく政治判断で、日本選手団は涙の抗議を政府に行った。このときもっとも気の毒だったのは男子マラソンの瀬古利彦だった。全盛期で出場していれば金メダルも十分ありえた。

   モスクワ、ロサンゼルスの2大会を含むおよそ10年間は、冷戦の闇に包まれていた。今、その復活がありうる状況で、IOCは、五輪を理由にされてたまるか、との思いが強かったのではないか。

   ルールに従うスポーツと、ときには無理を通す政治。しかし、国際大会は政治抜きでは成り立たない。みんなその不条理を知ることである。

(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)

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