憲法学者の小林節・慶応大名誉教授が立ち上げた政治団体「国民怒りの声」が、結党から2か月あまりで「休眠」することになった。代表の小林氏が離党するほか、党名も「国民の声」に変更される。
「怒りの声」は2016年5月9日に結党。「安倍政権打倒」を旗印に同年夏の参院選に臨んだが、議席の獲得には至らなかった。小林氏は7月19日のJ-CASTニュースの取材に対し、党の休眠について「合理的に考えた結果」と説明。「私の人生設計の中で、これ以上(政治活動に)時間を割けない」とも話した。
代表の小林節氏「自分に残された時間を大切に生きようと決めました」
小林氏は7月15日、「怒りの声」公式サイト上に「ご報告」と題した文書を掲載。「残務処理の機能だけ残し、党を休眠させます」と発表した。あわせて、党名を「国民の声」に変更するとした。
文書の中では、今回の選挙戦を「メディアに無視された戦い」と振り返った。小林氏は投開票日の翌11日に発表した声明でも、「メディアが私たちを一切報道してくれなかった」として、「有権者が判断する材料に加われなかった」との不満をつづっていた。
そうした点から、小林氏は当初「戦いを継続する必要があった」「次回は上手にやる」と考えたこともあったという。だが結局、「条件が変わらぬ以上、結果も同じ」として、政治活動から離れることを決めた。文書の中では、
「むしろ、無駄な再チャレンジはせず、自分に残された時間を大切に生きようと決めました」
と率直な思いをつづっている。小林氏は党を離れ、弁護士・憲法学者としての活動を再開するという。
政治活動から身を引くという小林氏の決断を受け、「怒りの声」のフェイスブックページには賛否両論のコメントが寄せられた。支持者からの「無駄ではなかったと信じております」「これからも応援させて頂きます」といった声が目立つ一方で、「所詮、その程度の挑戦だったわけですかね」「残念というか不甲斐ない」と手厳しい意見も出ていた。
今後は憲法学者として「機会があれば主張を続けていきたい」
小林氏は7月19日のJ-CASTニュースの取材に対し、党の活動を終了した理由について、
「合理的に考えた結果です。メディアが活動を報じない以上、再び選挙に出たとしてもエネルギーとお金、時間の無駄でしょう。また、私の人生設計の中で、これ以上(政治活動に)時間を割けない、という思いもあります」
と説明。再出馬の可能性については「ありません」と断言した。また、党の解散ではなく「休眠」という形を取った理由については、「手続き上の問題」とした。
活動終了にあわせて党名を変更したのは、「そもそも、当初から私は『国民の声』という団体名を考えていたためです」と明かす。「国民怒りの声」という名前になったのは
「事務局メンバーを含めた多数決の結果だった」
という。小林氏は、「選挙も終わったので、私の考えていた党名に変更してもらった」と話していた。
小林氏は15年6月の衆院憲法審査会に参考人として出席し、集団的自衛権の行使を認める安保法制を「違憲」と指摘した憲法学者の1人。安保関連法の成立を「立憲主義の危機」と表現するなど、出馬以前も憲法学者として「安保法廃止」に向けた運動を続けていた。
実際、15日に発表した文書の末尾でも、「安倍壊憲(原文ママ)が迫ってくる時に、憲法論議に精通した私は、また自由に発言を続ける所存です」と宣言。J-CASTニュースの取材に対しても、「憲法学者として、機会があれば主張を続けていきたい」と話した。