永六輔さん、83歳で「大往生」 「上を向いて歩こう」作詞

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   「上を向いて歩こう」などのヒット曲の作詞を手掛けたほか、ラジオのパーソナリティ、エッセイストなど多方面で活躍した永六輔さんが2016年7月7日に死去していたことが11日、分かった。83歳だった。読売新聞など各紙が報じた。

   東京・浅草のお寺の息子として生まれ、早稲田大学を中退。在学中からラジオ番組に投稿するなどし、テレビ草創期から様々な番組の企画・演出で放送界に深くかかわった。

  • 6月27日の放送で終了したTBSラジオ「六輔七転八倒九十分」の公式サイトより
    6月27日の放送で終了したTBSラジオ「六輔七転八倒九十分」の公式サイトより
  • 6月27日の放送で終了したTBSラジオ「六輔七転八倒九十分」の公式サイトより

中村八大さんと組んでヒット曲を連発、「気骨の放送人」

   60年代にはNHKで放送された人気バラエティ「夢であいましょう」の脚本を担当した。さらには自らテレビやラジオに出演、独特の早口の語りで人気を博した。特に67年から2013年まで続いた「永六輔の誰かとどこかで」はラジオ界きっての長寿番組として知られた。

   作詞家としては、作曲家の中村八大さんと組んでヒット曲を連発。「黒い花びら」「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」などがある。そのほか、「見上げてごらん夜の星を」「いい湯だな」なども作詞した。

   芸能界にとどまらない活動でも知られ、一時は「尺貫法」の復権にもとりくんだ。1977年には革新自由連合の結成に参加し政治活動にも進出。83年の13回参議院選挙に比例代表区から出馬したが落選した。

   94年には『大往生』がベストセラーになり、200万部を売り上げた。ここ数年は病気と闘う生活で6月に全レギュラーを降板していた。戦後放送界の立役者、生き字引のような人で、マイナーなことにも目配りし、タブーにも踏み込み、しばしば放送局とは摩擦も起こした。ふつうならちょっと言いにくいようなことも、問題だと思えば物申すことができる、数少ない気骨のある放送人の1人だった。

   永さんが長年CMキャラクターを務めていた浅田飴は11日午後、公式ツイッターに「弊社CMなどで大変お世話になりました。素晴らしい言葉の数々、大切にして参りたいと思います」などと追悼文を投稿した。

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