日本は完全に向こう側になってしまった――ダッカ・テロ事件の背景にあるもの(下)
聖心女子大・大橋正明教授に聞く

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   バングラデシュの首都ダッカで起きた痛ましいテロ事件は、日本人7人が犠牲になったこともあり、国内でも大きな衝撃が広がった。J-CASTニュースは今回、南アジアの貧困問題解決に取り組むNGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」の元代表理事で聖心女子大学教授(国際開発学)の大橋正明教授に話を聞いた。

   「9.11」の暗転がバングラデシュにやってきた」――ダッカ・テロ事件の背景にあるもの(上)では、9.11以降の西洋社会vsイスラム社会の対立、そしてバングラデシュが急速な経済発展を遂げた中でのひずみ、という国内外に生じた数多の「ささくれ」が、何らかのきっかけを経て、若者たちを過激思想に走らせる流れを生んでしまった、という見方を紹介した。(下)では日本とバングラデシュの関係を振り返りながら、日本人が犠牲になった事情、ISと高学歴な若者のつながりについて聞いてみた。

  • 大橋正明教授(2016年7月6日撮影)
    大橋正明教授(2016年7月6日撮影)
  • 大橋正明教授(2016年7月6日撮影)

バングラデシュ独立をいち早く承認した日本

――バングラデシュは親日国として知られますが、日本とバングラデシュはどのような関係を築いてきたのでしょうか。

大橋教授   1971年にパキスタンから独立した際、日本はいわゆる西側諸国の中で最も早く国家を承認したのです。
その当時、パキスタンは中国と近く、中国はアメリカと近かった。一方のインドはソ連と近かった。そのため、インドが独立を支援したバングラデシュは、どちらかというとソビエトとインド寄りでした。独立後に政権をとったアワミ連盟も、もともとはソビエト・インド寄りの傾向でした。そうした背景から、アメリカなどの西側諸国はバングラデシュの独立をあまり支援しなかったのです。
ただ、日本政府だけは非常に早く承認をしたので、バングラデシュにおける日本のイメージは非常によくなりました。
1977年には、日本赤軍が起こした日航機ハイジャック事件がありましたね。あの時、バングラデシュの首都ダッカの国際空港に強制着陸したのですが、バングラデシュ人はあの時もよく対処してくれました。
加えて日本は最大の援助国でもあります。そのため、両国は長年良好な関係を保ってきました。
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