出光興産の統合めぐる「VS創業家」 ささやかれる経営陣の強硬策とは

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   石油元売り2位の出光興産と同5位の昭和シェル石油の合併をめぐり、出光昭介名誉会長(88)ら出光創業家が反対を表明し、注目を集めている。株式の33.92%(議決権ベース)を持つと主張する創業家が2016年6月28日の株主総会で「昭和シェルとは社風が違う」などとして経営陣に反旗を翻したため、年内にも開く臨時株主総会で株主の3分の2以上の賛成が必要な合併の承認が得られなくなり、白紙に戻る可能性がある。

   世間には突然の出来事だけに、マスコミも大騒ぎだが、水面下では出光経営陣と創業家のせめぎ合いが続いていた。なぜ創業家はそんなに強硬なのか。それを理解するには、出光家の歴史を知る必要がある。

  • 若者のクルマ離れでガソリンの消費は右肩下がりの中、出光興産と昭和シェル石油が統合するのか注目される(写真はイメージ)
    若者のクルマ離れでガソリンの消費は右肩下がりの中、出光興産と昭和シェル石油が統合するのか注目される(写真はイメージ)
  • 若者のクルマ離れでガソリンの消費は右肩下がりの中、出光興産と昭和シェル石油が統合するのか注目される(写真はイメージ)

「大家族主義」など日本的経営を標榜

   出光興産は1911年、出光佐三(さぞう)氏が九州・門司で創業した出光商会が原点。1940年に出光興産を設立し、佐三氏が初代社長を務めた。そこから昭介氏(佐三氏の長男)らを経て現在の月岡隆氏まで10人が社長を務めたが、半数の5人が出光家出身で、長らく、典型的なオーナー企業として知られてきた。

   佐三氏は、社員の人格を尊重する「人間尊重」や、社員を兄弟として扱い解雇しない「大家族主義」という日本的経営を標榜した。仕事場には神棚があり、戦後もタイムカード、定年制なし、労働組合もない稀有な大企業として知られた。

   株式を上場しないオーナー企業としては、サントリーホールディングス、竹中工務店、YKK、JTBなども知られるが、出光興産は中でもユニークな存在だった。その強烈な「出光カラー」も、転機を迎える。2002年、最後の創業家社長・出光昭氏(佐三氏の甥)から天坊昭彦氏が社長のバトンを受けると、2006年に東京証券取引所に株式を上場。株式公開により「普通の会社」にならなければ、2000年代以降に活発となった石油元売り会社の再編に対応できないからだった。

   かつて創業家が8割ほどの株式を握っていたが、株式公開に伴い保有比率は下がっていった。しかし、会社の合併など重要事項で拒否権を行使できる3分の1以上は確保しており、今なお筆頭株主としての影響力を保持していたのだ。

経営陣と創業家の話し合いは難航も予想される

   株式上場後も出光興産は業界再編とは距離を置き、独立路線を守ってきた。東京都心で出光美術館を運営し、テレビ朝日系でクラシック音楽の番組「題名のない音楽会」のスポンサーを長く続けているのも、「人間尊重」で公益性を重んじる創業家の意向によるもので、出光興産の「古き良き伝統」といえる。テレビなどで流れるCMも、やや独善的と受け止める向きもあるが独特のカラーがある。

   しかし、状況は「古き良き時代」との決別を迫る。国内ではハイブリッドカーの普及や人口減少、若者のクルマ離れでガソリンなど石油製品の消費は右肩下がり。国内の製油所や系列ガソリンスタンドの統廃合は喫緊の課題となっている。そんな中で経営陣が昭和シェル石油との経営統合に進んだのは、経済的には、確かに合理的な判断といえるだろう。

   創業家は昭和シェルとの社風の違い、特に労組の有無の違いなどを問題視していると伝えられる。7月11日に月岡隆社長ら経営陣は昭介氏らと会談することになっており、創業家を説得し、理解を求める方針だ。ただ、統合交渉が報じられたのが2015年7月で、11月に基本合意書を締結したが、統合への創業家の懸念を経営陣が知ったのは同年12月、代理人を通じて伝えられた時といい、経営陣と創業家のコミュニケーション不足、創業家への経営陣の配慮の欠如は否めないところ。このため、経営陣と創業家の話し合いは難航も予想される。

   不調に終われば、合併承認の臨時株主総会では「賛成・反対」の委任状争奪戦に発展することになりかねない。出光経営陣が増資によって創業家の持ち株比率を低下させる強硬策に出る可能性もささやかれる。

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