民社党最後の委員長などを務めた元衆院議員の米沢隆さんが2016年6月16日18時、呼吸不全のため宮崎市内の病院で死去した。76歳だった。
鹿児島県出身。京都大学を卒業後、旭化成に入社して労働組合運動に参加した。宮崎県議会議員を経て、1976年の衆院選で初当選。計9期を務め、新進党幹事長や民主党副代表を歴任した。
93年に発足した非自民の細川護熙連立政権では、民社党書記長として、公明党の市川雄一書記長、新生党の小沢一郎代表幹事とともに政権運営を主導した。
民社党最後の委員長などを務めた元衆院議員の米沢隆さんが2016年6月16日18時、呼吸不全のため宮崎市内の病院で死去した。76歳だった。
鹿児島県出身。京都大学を卒業後、旭化成に入社して労働組合運動に参加した。宮崎県議会議員を経て、1976年の衆院選で初当選。計9期を務め、新進党幹事長や民主党副代表を歴任した。
93年に発足した非自民の細川護熙連立政権では、民社党書記長として、公明党の市川雄一書記長、新生党の小沢一郎代表幹事とともに政権運営を主導した。