熊本地震では、日本語が不自由な外国人向けにインターネットで多言語による情報発信をしている熊本市国際交流会館の取り組みを、連載2回目で紹介した。
最終回では、在住外国人が熊本地震でインターネットをどう活用したのかに焦点を当てたい。
無料スマホアプリで母国に電話つながる
カナダから熊本学園大(熊本市)に留学中のケンシー・フィリップスさんは、キャンパスから近い留学生寮に住んでいる。2016年4月14日夜、最初の大きな揺れが起きた際は3階の自室にいた。「人生初の地震体験で、すごく怖かった」。他の学生と共に1階に一時避難するが、停電は起きず、安全を確認した後で部屋に戻った。「もう大きな地震は来ない」と思ったからだ。
ところが16日未明の本震で、寮は停電。留学生は全員、建物の外に出た。この時フィリップスさんは、部屋に携帯電話とパソコンを残したまま避難した。寮生と一緒だが、真夜中に住まいを放り出されたうえ、立て続けに起きる余震の恐怖。一刻も早く家族と話したいが、手元に携帯電話がなく連絡できなかったことも心細さを増した。
ようやく母の声が聞けたときは、地震から数時間がたっていた。
「『帰っておいで』と言われました。私も帰りたいと思いました」
会話の際、フィリップスさんはスマートフォン(スマホ)の無料通話アプリを利用した。地震後、熊本県内では通信障害が発生した場所があり、電話がつながりにくくなったが、留学生寮が建つ地域ではネット接続に大きな支障は出なかったのだろう。比較的早い段階で家族に無事を知らせられたのは幸いだった。実際の帰国は、経済的な面から現実的ではなかったが、心理的に、余震続きの熊本に居続けるのが怖かったため、知人を頼って1週間東京に避難したという。
フィリップスさんのように、スマホアプリを使って通話したり、テキストメッセージを送り合ったりして安否確認に役立てた話は、取材を通して幾度か耳にした。
英語でも不安を煽るような情報がネットに流れた
災害が発生すると、ネットにはたびたび根拠のないデマが流れる。熊本地震でも「動物園からライオンが逃げた」「モールで火災」といったウソ情報が被災者を困らせた。幸いフィリップスさんは日本語の情報を読まなかったので、デマには惑わされなかったが、英語の国際報道の中にも、地震をセンセーショナルに報じて不安を煽るような内容があり、混乱したこともあったという。電話で父と話すうちに「大丈夫」と冷静に判断できるようになったそうだ
「震災デマ」は時に、外国人が「不審者」にされることがある。だが熊本学園大国際交流委員長のカーク・マスデン准教授は、「私が知る限り、外国人を標的にした変なウワサは、ネット上でほとんど見かけませんでした」。逆にボランティア活動に携わる外国人が好意的に報道されていたと話す。
マスデンさんは地震発生当初から、長年知人と共同で運用しているフェイスブックページ「Kumamoto International」を活用し、信用できる情報を英語で発信を続けてきた。メディアの震災記事や生活関連の情報のシェアや、マスデンさんらの独自のリポートが掲載されている。
外国人には「地図情報」のネット配信が重要
本震が起きた4月16日の午後、熊本市内で炊き出しや支援物資の集積場所が示された地図情報を投稿した。すると、投稿がユーザーのページに表示された数を示す「リーチ数」が5万近くに達した。それまでの「Kumamoto International」の投稿と比べて、飛びぬけて数が多い。地震が起きて間もないころに、どこで食料が手に入るかは被災者にとって最も大きな関心事と言える。地図情報自体は日本語だが、投稿の際に英語で「食料や物資が手に入る場所」と書いたため、外国人にとっては何を示した地図かが分かった。
熊本在住の外国人が提供する英語の情報は、留学生だけでなく被災した他の外国人、さらには海外にいる被災外国人の家族にとっても貴重だったはずだ。マスデンさんによると、震災後に「Kumamoto International」のリーチ数や「いいね」など「アクション」の数はぐっと増えた。
一方、被災外国人が現地で一次情報として触れるのは日本語が大半だ。仮に役所が災害情報をウェブサイトに公開しても、日本語が理解できなければ意味が分からない。例えば熊本県内では、震災後に大雨が降って避難情報が出た。だがフィリップスさんの場合、情報が漢字ばかりで理解が困難だったと明かす。「自分の住む地域は避難の対象なのか」が分からないのだ。
「地名は複雑です。それに、住所の読み方で『2丁目』とあったら、どの2丁目かを見分けるのにも苦労します」(フィリップスさん)
「どこの地域に避難勧告、避難指示が出ているか、例えば地図アプリ上に色分けしてもらえば、視覚的に外国人でも分かりやすい」(マスデンさん)
被災経験を乗り越えて、フィリップスさんは熊本に戻って留学生活を続行する意志を固めた。「地震は怖いけれど、熊本では多くの友人ができました。今では第2のふるさとです」と笑顔を見せる。マスデンさんは、フィリップスさんのような留学生の世話を続けながら、今日も英語で震災情報の発信を続けている。(おわり)