「好き」よりも、「嫌い」が受ける
コメント欄の議論は「京都嫌い」VS「反・京都嫌い」にとどまらなかった。
「自分が特定の人からいやな目にあったからと京都人全体をクズと一括りにして貶してる人達は、自分がやってることが自分が見下してる対象と同じことだとなぜ気づかないのだろう?」
「記事やみなさんのコメントを見て思ったことなのですが・・・たとえどこで生まれようが中身が無いと意味無いのでは? 出身地ごときにこだわるようじゃその人の人間性もたかが知れてる」
ネットではしばしば「好き」よりも、「嫌い」にユーザーが集まる。「バッシング」や「叩き」、そして「炎上」というのがよくあるパターンだ。その意味では「嫌い」を前面に掲げた本書のタイトルは、いかにもネット好み。それにしても温厚な文化人と思われる井上さんが、なぜこんな過激なタイトルで書いたのか。そして洛中の京都人に「見下された」過去の原体験を晒したのか。
ひょっとして井上さんは自らをハダカにして俎上にのせることで、ふだんは口にしにくい議論が起きることを期待していたのかも?いまごろはコメント欄の多様な意見を眺めながら「我が意を得たり」と、ほくそえんでいるにちがいない。