東京電力福島第1原発事故で、東電が社内マニュアルに記載されている炉心溶融(メルトダウン)の判断基準を「把握していなかった」ためにメルトダウンの発表が遅れたとされる問題で、東電の広報を担当する岡村祐一・原子力・立地本部長代理が2016年4月11日の定例会見で、事故当時にメルトダウンの判断基準を「個人的な知識として」把握していたことを明らかにした。
岡本氏は
「私は(メルトダウンの判断基準を)把握していたが、(事故当時は)直接状況をコントロールする、あるいはその場で物事を立場ではなかった」
などと釈明した。
東電は「炉心溶融(メルトダウン)だと判定する根拠がなかった」などとして11年5月までメルトダウンを認めなかったが、16年2月24日になって判断基準を記したマニュアルを「発見」したことを発表していた。この基準に従うと、事故から3日後の11年3月14日にはメルトダウンが起きたと判断できていた。