5年と4日ぶり【福島・いわき発】

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   カミサンがシャプラニール=市民による海外協力の会のいわき連絡会代表をしている。震災後、評議員になった。おととい(3月30日)、同じ評議員の大橋正明さん(聖心女子大教授)から電話が入った。「あした朝8時半におじゃまする」。大橋さんがわが家へ来るのは5年と4日ぶりだ。3月のカレンダーが5年前と同じなので、簡単に日数がわかる。

   最初は震災直後の3月27日にやって来た。シャプラはすでにいわき市で緊急支援を続けていた。私ら夫婦が一時避難から帰宅した直後、連絡が取れて、当時、副代表理事だった大橋さんら3人が来訪した。その日、一緒に市内を巡り、中長期的なシャプラの支援方針がかたまった。

   シャプラはそれから半年後、交流スペース「ぶらっと」を開設する。シャプラとしては3年の活動予定だったのが、2年伸びて5年になった。「ぶらっと」はこの3月12日、4年半の活動を終えた。きのう、後片付けがすべて終了したので、夜、私ら夫婦とスタッフ2人の4人で会食した。

   きのうは、その意味では活動が完全に終了し、スタッフが撤収する区切りの日だ。その日の朝に、5年と4日前、いわきでの生活支援を決めた大橋さんが現れるとは――。

   夏に福島市の高湯温泉で友人夫妻と懇親会を開く。県内も巡る。その下見だという。奥さんが一緒だった。いわきに一泊し、国道6号から浪江町に入り、飯舘村~福島市というコースで浜通りを北上中、わが家へ立ち寄った、というわけだ。ちょうどシャプラのスタッフも来たので、記念写真を撮った=写真。

   元シャプラスタッフの大橋さんは南アジアを中心に、日本のODAとNGO、インドの被差別カーストの人々などを研究テーマにしている。NGOを支援するNGO「国際協力NGOセンター」(JANIC)の前理事長でもある。先日、インドから帰って来たばかりだ。

   この5年、シャプラと大橋さんらを介して、国内外のNGO関係者や大学の先生らと会って話す機会が増えた。地震や津波被災者、原発避難者とホームコミュニティ(受け入れ地域社会)の関係について、考えを深める契機になった。

   時に、シャプラもいわきで災害支援の経験を積み、知見を深めた。昨年4月25日に発生したネパール大地震では、バングラデシュに出張中の大橋さんらがインド経由で緊急支援に入った。

   現在は コミュニティラジオ局と一緒に「ぶらっと」と同じコミュニティセンターの運営に取り組んでいる。学校帰りの子どもたちが立ち寄って過ごしたり、テント暮らしの人々が疲れをいやしたりする場になっているという。

   ついでながら、シャプラがらみでというか、そこから波及した野次馬的興味にすぎないが――。「バガボンド」や「宇宙兄弟」などを担当したマンガ界のスーパー編集者がいる。日本の駐バングラデシュ大使と同じ苗字だ。顔もなんとなく似ている。親子か? 大使をよく知る大橋さんに聞くと図星だった。

   大使は外務省の局長時代、休日を利用していわきを訪れた。引率の大橋さんに頼まれて、途中から津波被災地を案内した。5年と4日の間にはそんなこともあった。

(タカじい)



タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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