SNSだけでは分からない「見て感じるツアー」
バスツアーの実施には、多くの準備作業が伴う。予算の配分、ツアーコースの組み立て、バスや宿泊施設の手配、参加者募集の諸手続き、細かな書類の作成や提出――。もちろん、要となる企画そのものも短期間で細部を詰めていかねばならない。こうした面で高校生を支えたのが、年齢の近い大学生チームだった。
学生リーダーの田村裕亮さんは飯舘村出身で、自らも被災者だ。震災当時高校2年生だったが、通っていた高校は転校するしかなかった。卒業後は福島大に進学し、「地元の役に立ちたい」との思いを持ち続けてきた。
高校生のアイデアを上手に引き出す役割を担ったが、田村さん自身こうした経験は初めてで、簡単ではなかったという。NPOスタッフと連携しながら、実現可能性を高めるために高校生と一緒になって企画を煮詰めていった。
高校生リーダーの松本さんにとっては、ツアーを通して自分の故郷を同世代の若者にこう感じて欲しいと望んでいた。「震災を『悲しいこと』で終わらせず、これから生きていくための知恵としてもらいたい。また、相双地域のよいところも悪いところも全部知ってもらいたい。そのうえで、この街を好きになってもらいたい」。SNS(交流サイト)上だけでは分からない、見て感じるバスツアーの実施を喜んだ。田村さんも、「実際に自分の足でその場所に行かないと、感じ取れないことがあります。高校生のアイデアに大いに共感しました」。
「高校生が考えた旅」とチラシに書かれたツアー内容は、盛りだくさんだ。1泊2日で、参加者はまず相馬市内を歩きながらプロジェクトメンバーのガイドを受ける。さらに地元漁港で漁業に携わる男性から現状を学び、実際に魚の放射能測定の現場を見せてもらう。宿泊先の旅館では、女将から震災体験を聞く。津波で唯一残った南相馬市の「かしまの一本松」や、大型太陽光発電施設を見学する。開催時期は8月上旬の夏休み真っ最中に決まった。「大勢来てほしい」と意気込んで募集したが、感触はいまひとつ芳しくなかった。
田村さんは、個人的にも大学キャンパスで学生に声をかけてみたが、思わぬ反応の鈍さに戸惑った。もしかしたら、「怪しげな団体」の活動と勘違いされて、参加を見送った人がいるかもしれないとまで感じた。
当日参加したのは、プロジェクトのメンバーを除けば、福島県外の高校生2人、県内高校生1人、宮城県と福島県の大学生7人の合計10人だった。