東日本大震災で、宮城県気仙沼市の鹿折(ししおり)地区は津波と大火災に襲われて壊滅状態となった。夜の街が燃え盛り、火の海となっている様子を上空から映した映像がテレビで流れ、衝撃を受けた人も少なくないだろう。
あれから5年、鹿折地区では現在、災害公営住宅や水産加工施設の建設が進んでいる。漁業で栄えてきた気仙沼は、本来の姿を取り戻そうと懸命だ。
柱残った工場を再建した矢先にフカヒレ相場が下落
気仙沼の水産業を語るうえで外せないのが、サメだ。漁獲量は日本一を誇る。
福寿水産は、社員数20人ほどでサメの加工を手掛ける。震災当日、勤務中だった社員は全員、会社の裏山に避難して助かったが、社屋と工場は津波にのまれた。突如訪れた、事業存続の大ピンチ。専務の臼井祐介さんは、社長で父の弘さんと話し合った。
「社員の生活がかかっている。何とか踏ん張るしかない」
工場は完全に津波に流されておらず、柱が残っていたのは不幸中の幸いだった。とは言え、建物の中は泥だらけでメチャメチャ、とても業務をすぐに再開できる状態ではない。個々の社員の生活もある。臼井さんは決断を迫られた。震災からしばらく後、社員全員をいったん解雇したのだ。それでも社員は、被災した工場に毎日来て自主的に片づけを手伝った。臼井さんは人づてに、年配の社員がこんなことを口にしていたと耳にする。
「自分を使ってくれてありがたかった。その恩返しのつもりです」
近くのホテルの一室を「仮事務所」として運営を続けながら、工場は2012年7月に再建を果たす。臼井さんが「ぜひ手伝ってほしい」と願っていた以前の社員も、戻ってきた。港に入る漁船の数は震災前と比べると少ないが、既に魚市場は開いており、冷蔵施設をはじめ水産加工に欠かせない事業者も徐々に稼働を始めていた。ところが、震災とは全く別の問題が発生した。
同社の主要品であるフカヒレは、中華料理の高級食材として有名だ。しかし中国政府が2012年、フカヒレを「ぜいたく品」として公式晩さん会での使用を禁止する規定を導入すると発表、翌13年には実際に禁止する措置をとった。このため、フカヒレの最大市場である中国での相場が大幅に下落し、その影響が日本を直撃した。
一部の海外環境保護団体による「反サメ漁キャンペーン」も起きた。フカヒレだけを切り取ってサメを捨てるという残酷な手法に反対したものだが、気仙沼ではフカヒレだけでなく、すり身をはんぺんに、軟骨は健康食材として、さらに皮はバッグや財布に加工される。1匹のサメをすべて無駄なく活用しており、批判は的外れだ。それでも、ようやく震災から立ち上がった臼井さんは神経質にならざるを得なかった。