北海道新幹線が2016年3月26日に開業した。その一番列車に、記者はどうしても乗りたかった。
とはいえ、東京駅発の下り列車は満席。新函館北斗発の上りは前日、わずかに残席が確認できたが、前夜に東京から北海道へ飛び、宿泊して備える余裕はない。考えた末に思いついた。「そうだ、途中駅で乗ればいい」。青函トンネル開通と同い年の記者が向かった先は、大宮駅(埼玉県さいたま市)だった。
対岸ホームにも「出迎え客」が大勢
上り一番列車「はやぶさ10号」(新函館北斗6時35分発、東京行き)は、大宮駅10時39分発だ。記者が大宮駅に到着したのは、10時ちょうど。コンコースには北海道物産展のブースが置かれ、地元テレビ局「テレビ埼玉」のクルーが取材をしていた。近くには、JR東日本大宮支社による、お出迎えイベントの受付もある。旗をもった人、おそろいのタオルを首にかけた人。それぞれが、北海道新幹線の車体に使われている、紫色の「彩香(さいか)パープル」に身を包み、到着を待っていた。
発車15分前。改札へ向かうと、珍しそうに電光掲示板を撮影する人だかりがある。「SHIN-HAKODATE-HOKUTO」。ギッシリ書かれた新駅の駅名に、驚いている様子だった。15番ホームへ上がると、すでに出迎え客がズラリと並んでいる。
駅係員と警備員は、黄色い線から出ないように気を配る。「降りるお客様もいらっしゃいますので、乗降口をおあけください!」。乗る人に対してのアナウンスはなく、これから乗車しようという自分が、どれだけ珍しい存在なのか再確認する。線路をはさんだ対岸のホームにも、人がごった返していた。
列車は10時38分に到着した。乗りこんだのは、わずか1席だけ空いていた1号車。一番列車の中でも、最初に青函トンネルを通り抜けた車両だ。ほかの車両より座席が少ないためか、車内は思いのほか静かで、会話は少ない。盛り上がりには欠けるが、ここまで4時間の長旅をしてきたと考えれば、興奮がおさまっていてもおかしくない。
車両、乗客、車輪と興味のままにカメラを向ける
1分ほどで発車。東京駅までの30分間の旅がスタートした。周囲を見ると、乗客の多くが「開業記念」の小旗をひらめかせている。車体とともに、プロ野球・北海道日本ハムファイターズのエース、大谷翔平選手をあしらった旗だ。どうやら各座席前の物入れに差されていたようだが、先客に持ち帰られた後なのか、見当たらなかった。ちなみに窓際の人は、なぜか旗を2枚持っていた。「うらやましい」――心の中でつぶやいた。
荒川を越え、見慣れた風景が車窓に流れる。10時58分、上野に到着した。「津軽海峡・冬景色」で歌われるように、かつては北行きの玄関口だった上野だが、いまや途中駅になってしまった。大宮に比べると、出迎え客もまばらだった。そして11時5分、東京駅へ。ホームは人であふれ、乗客からは「きょう一番(の出迎え人数)」との声も出た。車両全体、乗客、車輪......出迎え客は、おのおの興味のままにカメラを向ける。
ホームに降り立つと、新幹線の「顔」を押さえようと、撮影客が先頭車両に集まる。北海道からの乗客を探す取材クルーを横目に、乗り換え改札を抜けると、いつもと変わらない「週末の東京駅」があった。スーツケースを転がす人々は、これから北海道へ行くのだろうか。それとも関西や九州、北陸へ向かうのか。
東京駅で受け取った「光る号外」
丸の内南口を出ると、人だかりを見つけた。「北海道新幹線の号外です!」。毎日新聞と北海道新聞が、仲良く両面印刷されていた。かたわらでは、もう一種配っている。配布している人が口にした。「光る新聞なんです!」。函館の夜景が描かれた下には、LEDが埋め込まれていて、ボタンを押すとピカッと光る。その場で試してみたかったが、この日の快晴。会社に戻ってから、暗い部屋で光らせることにした。
青函トンネル開通から丸28年。建設開始から数えると、50年以上の時を越え、ついに北海道と本州が新幹線で結ばれた。そんな歴史的な日ではあるのだが、いざ乗車してみると、少しおとなしい印象を受けた。2番列車以降は空席も目立つという北海道新幹線。15年後には札幌への延伸が予定されているが、きょう以上の盛り上がりを見られればいいのだが――。