【震災5年 絆はどこに(2)福島県いわき市】
駅前から復興を発信する「夜明け市場」 被災者支援の枠超えて地域発展に貢献

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   日が暮れ始めると、JRいわき駅近くの細い路地にある10軒ほどの飲食店の明かりがチラホラと灯り出した。駅前ではよく見かける光景だが、福島県いわき市の「夜明け市場」はちょっと特別だ。

   東日本大震災で被災して店を失った人たちに新たな店舗スペースを提供する飲食店街として、2011年11月にオープンした。今では被災者支援の枠を超えて、地域活性化の核となる飲食店街を目指している。

  • 「夜明け市場」事務局長の松本丈さん
    「夜明け市場」事務局長の松本丈さん
  • 今では被災者以外の飲食店オーナーも出店
    今では被災者以外の飲食店オーナーも出店
  • 昭和の雰囲気あふれる「白銀小路」を改装して誕生した
    昭和の雰囲気あふれる「白銀小路」を改装して誕生した
  • 津波で多くの家が流された久之浜町では、今も復旧復興工事が続く
    津波で多くの家が流された久之浜町では、今も復旧復興工事が続く
  • 久之浜町には、2011年9月3日にオープンした仮設商店街「浜風商店街」がある
    久之浜町には、2011年9月3日にオープンした仮設商店街「浜風商店街」がある
  • 「夜明け市場」事務局長の松本丈さん
  • 今では被災者以外の飲食店オーナーも出店
  • 昭和の雰囲気あふれる「白銀小路」を改装して誕生した
  • 津波で多くの家が流された久之浜町では、今も復旧復興工事が続く
  • 久之浜町には、2011年9月3日にオープンした仮設商店街「浜風商店街」がある

東京から戻り、「食を通して地域を盛り上げる」仕掛け人に

   「夜明け市場」の仕掛け人のひとり、事務局長の松本丈さん(33)はいわき市四倉町出身だ。震災が起きるまでは同郷の旧友、鈴木賢治さんが代表を務める会社で、東京都内で「福島の食材」をコンセプトにした飲食店の開店準備に奔走していた。地震発生間もない2011年4月初旬、津波の被害を受けた故郷の四倉町に東京から出向いて炊き出しをした。地元の商工会や婦人会の協力を得て、多くの人に喜んでもらえた。半面、経費の負担が大きく、同じ支援を続行するのは難しいと考えた。

   炊き出しの帰り道、松本さんは鈴木さんと地元への貢献の仕方を話し合った。出した答えは、「飲食街という企画で、地元にビジネスとしてかかわろう」。震災で店を失った飲食店オーナーの再起を後押しする目的を掲げた。

   立案の際にこだわったのは、JRいわき駅前という立地だ。

「郊外だと、最初は大勢来てもらえても継続しての集客が難しいと考えたのです」。

   苦心の末、築45年だが駅から徒歩3分と絶好の建物を見つけた。「食を通して地域を盛り上げる」がコンセプトの核だ。当初は被災者向けに説明会を開催したり、紹介を受けたりして出店希望者を募った。松本さんら運営側は、「店を出しやすいように」と賃料を低く設定し、仲介手数料は無料、開店日までは家賃を徴収しないと細かく配慮した。

   2011年11月のオープン当初は、被災者がオーナーの店だけだった。その後、UターンやIターンで「店を出したい」と望む人が増えていった。福島県外からボランティアで来ているうちにいわきを気に入り、「夜明け市場」で店を持った人もいる。

「飲食店経営の実績がないと、新規創業のための不動産を借りるのが難しい。でも、被災者応援からスタートした「夜明け市場」は、飲食で新たにチャレンジする人、一緒に街を活性化してくれる人を応援する場所に成長していきました」

母に懇願されてUターン、自力でリフォームして開店

   いわき市は大震災の被災地であると同時に、東京電力福島第1原発の事故で避難してきた大勢の人を受け入れている自治体でもある。

   被災地として、大震災から5年が経過してもその傷跡は残っている。市中心部から電車で10分強の距離にある久之浜町では、津波で68人が亡くなった。海岸沿いの広い地域では今も災害復旧・復興工事が続いており、家を失った人々は今も以前の土地に戻れていない。

   半面、福島県内で例外的に人口が増えているという事実もある。2015年国勢調査(速報値、2015年10月1日現在)によると、県全体の人口は前回調査の2010年比で5.7%減と過去最大の減少幅となり、大半の市町村で人口減となるなか、いわき市は同2.1%増だった。原発事故の避難者のほか、復興関連事業の作業員を多く受け入れているのが原因とみられる。JRいわき駅周辺には、新しく建設されたビジネスホテルが並び、記者が訪れた2016年3月の土曜日夜は駅前の飲食店街がにぎわっていた。

   「夜明け市場」で2013年2月に居酒屋「旬゛平」を開店した草野淳一さんは、Uターン組のひとりだ。東京・四ツ谷で居酒屋を経営し、軌道に乗っていたところで震災が起きた。地元・いわきに住む母親から「帰ってきて欲しい」と頼まれ、決意を固めたという。「夜明け市場」の店舗スペースを見つけたのも、母だった。当時は復興に向けた建設ラッシュの影響のためか、近くで内装業者が見つからず、自力でリフォームして開店にこぎつけたという。

   いわきでの飲食店経営は初めてとなる草野さんにとって、開店当初は手探りだったが、仕事帰りの人や若者でにぎわうようになった。3年が過ぎた今、経営は順調のようだ。

「県外から福島を応援に来てくれる人もいます。地元の人間として、素直にうれしいですね」

「おー、松本さん」と声をかけられるように

   「仕掛け人」の松本さんは「夜明け市場」オープン後、積極的に地域にかかわるようになった。以前、四倉町に住んでいた頃は、地域でそれほど濃密な人付き合いはなかったという。一度東京に出ていわきに戻ってからは、地域になじむために祭りや商店街活動を手伝うようになった。すると顔見知りが増え、信頼が厚くなる。

「街を歩いていると、『おー、松本さん』と声をかけられるようになりました」。

   地域コミュニティーに溶け込み、ビジネスの枠をを超えて街を活性化させようとの思いを共有している心地よさを実感するようになった。積極的に提案すると、年齢が若くても「仕事」を任せてもらえる喜び。周囲の暖かい応援に押され、やりがいは大きいという。

   「夜明け市場」の店同士の連携も生まれた。イベントを開くと「ひと肌ぬぐか」と快く手伝ってくれる店舗経営者が少なくない。ビジネスだけの冷めた関係では、こうしたつながりは生まれないだろう。松本さんも、店舗支援のため経営面でアドバイスを送り、集客プロモーションやイベント開催を通じて「夜明け市場」全体の成長を後押しする。

   現在、出店は14店舗まで増えた。出店申請中もあり、すべての店舗スペースが埋まる日も近そうだ。駅前の他の飲食店も増えており、「もしかしたら相乗効果が出ているのかもしれません」と松本さんは話す。共にいわきの街を元気にしていければと、願っている。

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