【震災5年 絆はどこに(1)福島県郡山市】
創業300年目に訪れた大ピンチ ぶれない酒造りで日本酒蔵元は生き残った

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   東日本大震災の発生から2016年3月11日で5年が過ぎた。震災当時、世間で流行した言葉が「絆」だった。被災者に思いを寄せ、つながりの大切さを噛みしめた人が大勢いただろう。

   だが今日、復興の歩みは必ずしも順調とは言い切れない。被災地の人たちは今、「絆」という言葉をどう受け止め、感じているだろうか。福島、宮城、岩手の各地を、J-CASTニュース記者が訪れた。

  • 仕込み蔵で、蒸米を広げて冷ます
    仕込み蔵で、蒸米を広げて冷ます
  • 麹室(こうじむろ)で麹造りの作業
    麹室(こうじむろ)で麹造りの作業
  • 出来上がった蒸米をスコップで掘り出し計測し、仕込みに運ぶ
    出来上がった蒸米をスコップで掘り出し計測し、仕込みに運ぶ
  • 英国の審査会で金賞を獲得した「自然酒 燗誂」を手にする馬場幹雄さん
    英国の審査会で金賞を獲得した「自然酒 燗誂」を手にする馬場幹雄さん
  • 今年で創業305年目となる仁井田本家
    今年で創業305年目となる仁井田本家
  • 仕込み蔵で、蒸米を広げて冷ます
  • 麹室(こうじむろ)で麹造りの作業
  • 出来上がった蒸米をスコップで掘り出し計測し、仕込みに運ぶ
  • 英国の審査会で金賞を獲得した「自然酒 燗誂」を手にする馬場幹雄さん
  • 今年で創業305年目となる仁井田本家

「これは福島のお酒...」言いかけると「あ、いいです」

   福島県のJR郡山駅からバスで30分、郡山市内ののどかな水田地帯に日本酒の蔵元「仁井田本家」は建つ。創業1711年(正徳元年)――江戸時代中期、徳川6代将軍家宣の時代だ。震災の年の2011年は、創業300周年の記念イヤーだった。

   地震発生時は、仕込みの最中だった。蔵は大きく揺れて、土産コーナーの酒瓶が数本落下して割れ、物置用の古い建物の壁が少しはがれた。だが、物的な被害はほかには出なかった。地盤がしっかりしている土地のおかげだ。

   だが統括部長の馬場幹雄さんはその夜、職場から1キロほど離れた自宅に戻って言葉を失った。まず玄関の扉が開かない。ようやく入ると今度は、部屋の中が「ひっくり返った状態」だったという。事態の深刻さが徐々に伝わってきた。そして翌12日、東京電力福島第1原発で深刻な事故が発生する。社内にも不安に感じる従業員がおり、会社は1週間休業した後に業務を再開した。

   本当の苦労は、ここからだった。

   2011年5月ごろから、首都圏で「震災復興イベント」が徐々に始まり、仁井田本家にも出店依頼が届いた。馬場さん自身、東京都内での試飲イベントに立った。「どうぞ」とお酒を振る舞うと、「福島、がんばって」と温かい言葉が飛んできた。半面、呼びかけても無言でスッと立ち去る人もいた。「微妙な空気」を感じずにはいられなかった。原発事故の影響が出ている――。

   西日本では、取引先の酒販店が応援の意味を込めて仁井田本家の商品を積極的に消費者に勧めてくれたという。ところが、

「『これは福島のお酒...』と言いかけるとすぐ『あ、それはいいです』と断られたと聞きました」

玄米から醸造、瓶詰め後の酒まで放射能検査を徹底

   もちろん、放射能検査は徹底していた。馬場さんによると、当初は玄米の段階、精米した白米の段階、醸造後すぐの酒、瓶詰め後の酒と各工程すべてで検査を実施したほどだ。当然、放射能不検出のコメだけを使い、不検出の製品だけを出荷した。だが「福島」と口にした途端に客が立ち去るようでは、安全性を訴える術がない。極端な例だが、「検査機関そのものが信用できない」とまで言われた。2011年の出荷量は前年比3割減。2012年以降も、苦戦が続いた。

   消費者に自分たちの声を届けたくても、聞く耳を持ってもらえない。理解が進まないもどかしさ――。ピンチに陥った仁井田本家がとった行動は、明解だった。「だったら、もっと自分たちを知ってもらおう」。

   震災前から、酒造りや田植えの体験、感謝祭、収穫祭を開いて地域の人と触れ合う機会は設けていた。さらに「蔵に来てもらおう」を合言葉に2013年、毎月1回の「スイーツデー」を新設した。麹糖(こうじとう)と卵を使った「自家製ババロア」を販売する。あえて日本酒に固執しないイベントのおかげで、地元・郡山を中心に女性や子連れの人が大勢来るようになった。

「当社は創業300年、地元ではそれなりに知名度があると考えていました。ところが実際にイベントに参加した人に聞くと、『初めて来ました』という声が多かった。郡山市内でも、まだまだ我々は知られていなかったのです。もっとアピールしなければという思いを強くしたのです」

「自然米」へのこだわり、国際的に認められ「金賞」

   もう1つ、仁井田本家がこだわるのが自然米だ。農薬や化学肥料を一切使わない自然米だけを使った酒を、1967年に国内で初めて醸造・発売した。自社でも水田を持ち、県内外の生産者と契約栽培をしている。今では自然米使用100%で、原料がコメと水だけの純米造り100%でもある。仕込みに用いる水も、同社が所有する山の伏流水や井戸水といった天然水しか使わない。

   それでも、原発事故後は、「放射性物質は大丈夫か」という逆風に見舞われた。会社のある郡山市田村町の事故後の放射線量は市内でも低い方だった。仁井田本家でも、事務所前の桜の木付近で空間線量を独自に測定していた。国の「追加被ばく線量・年間1ミリシーベルト以下」の考え方では、毎時0.23マイクロシーベルトの計算となるが、2012年2月の時点で既にこの数値を大きく下回っていた。加えて、原料米や製品に対して厳しい放射能検査を続けたのは先述の通りだ。

   事業は厳しい状態が続いたが、ぶれない「自然酒」づくりは優れた商品としての評価につながった。毎年行われる「全国新酒鑑評会」では2012年、14年と金賞に選ばれた。国内だけではない。2015年、ロンドンで開かれた「インターナショナルワインチャレンジ2015」でも、「自然酒 純米吟醸」が純米吟醸・純米大吟醸の部で、「自然酒 燗誂」が純米酒の部で、それぞれ最高賞の「金賞」を獲得したのだ。世界13か国・54人の「酒の専門家」が審査し、金賞を授与されたのは876銘柄中43銘柄だけと、名誉ある賞だ。「自然米の持つパワーを評価していただいたのかもしれません」(馬場さん)。

   まだ、売り上げが震災前に完全に戻ったわけではない。それでも、地元を中心に着実にファンが増え、自然米への一貫したこだわりは国内外で理解が広まってきた。「福島だから応援してくれる、そしてお酒を買ってくれる。そんな人の温かさに触れると涙が出そうになる」と、馬場さんはほほ笑む。

   楽な道のりでなくても、次の100年に向けて1歩ずつ進んでいる。(この連載は随時掲載します)

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