東日本大震災の発生から2016年3月11日で5年が過ぎた。震災当時、世間で流行した言葉が「絆」だった。被災者に思いを寄せ、つながりの大切さを噛みしめた人が大勢いただろう。
だが今日、復興の歩みは必ずしも順調とは言い切れない。被災地の人たちは今、「絆」という言葉をどう受け止め、感じているだろうか。福島、宮城、岩手の各地を、J-CASTニュース記者が訪れた。
「これは福島のお酒...」言いかけると「あ、いいです」
福島県のJR郡山駅からバスで30分、郡山市内ののどかな水田地帯に日本酒の蔵元「仁井田本家」は建つ。創業1711年(正徳元年)――江戸時代中期、徳川6代将軍家宣の時代だ。震災の年の2011年は、創業300周年の記念イヤーだった。
地震発生時は、仕込みの最中だった。蔵は大きく揺れて、土産コーナーの酒瓶が数本落下して割れ、物置用の古い建物の壁が少しはがれた。だが、物的な被害はほかには出なかった。地盤がしっかりしている土地のおかげだ。
だが統括部長の馬場幹雄さんはその夜、職場から1キロほど離れた自宅に戻って言葉を失った。まず玄関の扉が開かない。ようやく入ると今度は、部屋の中が「ひっくり返った状態」だったという。事態の深刻さが徐々に伝わってきた。そして翌12日、東京電力福島第1原発で深刻な事故が発生する。社内にも不安に感じる従業員がおり、会社は1週間休業した後に業務を再開した。
本当の苦労は、ここからだった。
2011年5月ごろから、首都圏で「震災復興イベント」が徐々に始まり、仁井田本家にも出店依頼が届いた。馬場さん自身、東京都内での試飲イベントに立った。「どうぞ」とお酒を振る舞うと、「福島、がんばって」と温かい言葉が飛んできた。半面、呼びかけても無言でスッと立ち去る人もいた。「微妙な空気」を感じずにはいられなかった。原発事故の影響が出ている――。
西日本では、取引先の酒販店が応援の意味を込めて仁井田本家の商品を積極的に消費者に勧めてくれたという。ところが、
「『これは福島のお酒...』と言いかけるとすぐ『あ、それはいいです』と断られたと聞きました」