「演歌」の人気復活を後押しすべく、超党派の有志議員が立ち上がった。衆参両院の約40人が集まり、議員連盟「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」の設立を決めたというのだ。
これを受け、ネット上では演歌の位置づけをめぐり、疑問の声が相次いでいる。果たして演歌は「日本の伝統文化」なのだろうか――と。
もとは「主義主張を歌にして歌ったもの」
有志議員一同は2016年3月2日、国会内で発起人会合を開いた。会長には自民党の二階俊博総務会長が内定。月内にも正式に発足し、振興策を議論していくそうだ。プロ歌手によるカラオケ教室の開催という案も上がっているという。
会合には歌手の杉良太郎さんも出席した。複数メディアによれば、杉さんは「演歌や歌謡曲は若者からの支持が低い。日本の伝統が忘れ去られようとしている」などと語り、危機感を示したという。
報道を受け、ネット上には「正直、議員の仕事じゃない」「公益に適っていない」といったネガティブな意見が寄せられた。しかし、議連発足そのものよりも関心を集めているのが、演歌の扱いについてだ。
杉さんの「日本の伝統が~」という発言を受けてか、産経ニュースは同日配信の記事で「日本の伝統文化の演歌を絶やすな!超党派『演歌議連』発足へ」との見出しをつけて報道。ネット上では同記事に注目が集まると同時に、
「伝統???????????????」
「演歌って伝統と言えるほど昔からあったか?」
「演歌ってわりと最近できたものじゃなかったっけ?」
といった疑問の声がいくつも上がることとなった。
「演歌」という言葉の意味を辞書でひいてみると「明治10年代に、自由民権運動の壮士たちが、その主義主張を歌にして街頭で歌ったもの(演説歌から)」(デジタル大辞泉)とある。こぶしをきかせ、義理人情や男女の情感を歌う現在の「演歌」のイメージとは随分と異なる。
「使われ出したのは1960年代から」や「日韓融合文化」説も
音楽学者・輪島裕介氏は著書「創られた『日本の心』神話 『演歌』をめぐる戦後大衆音楽史」の中で、
「現在『演歌』と呼ばれているものは、1960年代のある時点まで、それまでは広い意味での『流行歌』ないし『歌謡曲』に含まれ、必要に応じて『民謡調』『小唄調』『浪曲調』、あるいはそれらをひっくるめて『日本調』の流行歌として『洋楽調』と区分されていました」
と指摘している。それが1960年代後半から「ある種のレコード歌謡スタイルを指示するもの」として用いられ、1970年代には「『日本的』ないし『伝統的』なものとして一般に定着」したのだという。
さらに、現在の「演歌」を特徴づける「こぶし」や「唸り」のきいた歌い方についても、輪島氏は「少なくとも昭和20年代まではほとんど見当たらない」とし、これらがレコード歌謡に流入してくるのは「昭和30年代に入ってから」だと解説している。
日本の伝統文化・芸能ときいて思い浮かべるものは人それぞれだが、少なくとも演歌の歴史は、茶道や華道、歌舞伎、文楽といったものとは比べ物にならないほど日の浅いもののようだ。
ちなみに、産経ニュースの記事には「演歌や歌謡曲を『日本発』の文化と捉え」という記述もある。しかし演歌の歴史をめぐっては「韓国がルーツ」という説も存在する。2010年にはラジオ大阪が「演歌は海峡を越えて」と題した特別番組を放送した。
公式サイト上に残っているラジオ大阪の番組審議会議事録には、「朝鮮と日本の曲を比較を通し様々な面から検証した」ところ「演歌は、日本と韓国(朝鮮)の融合文化ではないかという結論を導き出した」と記されている。
ルーツの真相は分からないものの、単純に「日本の伝統文化」と片付けられないものであることは確かなようだ。