「使われ出したのは1960年代から」や「日韓融合文化」説も
音楽学者・輪島裕介氏は著書「創られた『日本の心』神話 『演歌』をめぐる戦後大衆音楽史」の中で、
「現在『演歌』と呼ばれているものは、1960年代のある時点まで、それまでは広い意味での『流行歌』ないし『歌謡曲』に含まれ、必要に応じて『民謡調』『小唄調』『浪曲調』、あるいはそれらをひっくるめて『日本調』の流行歌として『洋楽調』と区分されていました」
と指摘している。それが1960年代後半から「ある種のレコード歌謡スタイルを指示するもの」として用いられ、1970年代には「『日本的』ないし『伝統的』なものとして一般に定着」したのだという。
さらに、現在の「演歌」を特徴づける「こぶし」や「唸り」のきいた歌い方についても、輪島氏は「少なくとも昭和20年代まではほとんど見当たらない」とし、これらがレコード歌謡に流入してくるのは「昭和30年代に入ってから」だと解説している。
日本の伝統文化・芸能ときいて思い浮かべるものは人それぞれだが、少なくとも演歌の歴史は、茶道や華道、歌舞伎、文楽といったものとは比べ物にならないほど日の浅いもののようだ。
ちなみに、産経ニュースの記事には「演歌や歌謡曲を『日本発』の文化と捉え」という記述もある。しかし演歌の歴史をめぐっては「韓国がルーツ」という説も存在する。2010年にはラジオ大阪が「演歌は海峡を越えて」と題した特別番組を放送した。
公式サイト上に残っているラジオ大阪の番組審議会議事録には、「朝鮮と日本の曲を比較を通し様々な面から検証した」ところ「演歌は、日本と韓国(朝鮮)の融合文化ではないかという結論を導き出した」と記されている。
ルーツの真相は分からないものの、単純に「日本の伝統文化」と片付けられないものであることは確かなようだ。