プロ野球界はオープン戦も始まり、実戦モードに入った。
そんななか、2016年3月1日、三冠王が挫折し、甲子園の優勝投手が前途に陰を落とすという厳しい出来事があった。力の世界の実態である。
入団テストのオファーもなかった松中信彦
「入団テストのチャンスを得ることもなかった」
こう言ってユニホームを脱ぐ決心をしたのは、三冠王の松中信彦だった。ソフトバンクの看板打者として活躍した球史に残るバッターだ。
15年のシーズン限りで退団したものの、現役にこだわり、単独で練習を行い、このキャンプでのテストにかけていた。しかし、オファーはなかった。もう、過去の人として、相手にされなかったことになる。
「現実は厳しい...」
この言葉がすべてだった。通算1767安打、352本塁打の松中はおそらく、テストすら皆無という事態は予測していなかっただろう。
松中が背広で悔しさをにじませていたころ、オープン戦のグラウンドでも厳しい現実にさらされていた投手がいた。甲子園と神宮のヒーローだった日本ハムの斎藤佑樹である。
巨人戦に二番手として登板したが、2イニングで5安打を浴びて4失点という内容だった。
「フォークが多すぎた。外角ストレートがよかったので、ストレート主体でいけばよかったと思っている」
そう振り返ったが、チームの信頼を取り戻すにはほど遠い内容だった。首脳陣もチャンスを生かせない投球にため息をついたに違いない。
斎藤佑樹は二軍にいては価値のない投手
この両選手の姿は、プロ野球は過去より現在であることをはっきりと示しているといっていい。選手はみんな、現役をいつまでも続けたい、と思っている。
松中はその実績から引退試合が行われて当然の選手だった。そんなことより現役の夢を追った。プロの生き方の一つである。
思い出すのは野村克也の生き様だ。「生涯一捕手」と自らを奮い立たせてボロボロになるまでプレーした。野村も三冠王で、それは戦後初の快挙だった。
同じ三冠王の王貞治はシーズン30本塁打を放ちながらバットを置いた。
松中は王の秘蔵っ子だったが、バットマンとしては野村の道を選んだ。「太陽」よりも「月見草」である。
「(松中は)努力で成長した。それによって12球団ナンバーワンのバッターになった」
王の評価である。松中は喜んだことだろう。
一方、現役を続ける斎藤には茨の道が待っている。だれの目から見ても「今年が勝負のシーズン」だ。ペナント奪回を目指すチームにとって「打たれる」投手は必要ない。それを克服する挑戦が毎日続く。
15年はわずか2勝。それを含め4年間で13勝16敗。「ハンカチ王子」と呼ばれたころの甘いマスクはとっくに消えている。
「甲子園と神宮の優勝投手。それにドラフト1位入団。一軍で投げ続けるべきエリート投手で、二軍にいては価値のない投手なんです。それだけに首脳陣は扱いに頭を悩ませることになりますよね」
つまり本人も球団幹部も大変ということである。
プロ野球は2月のキャンプが終わり、3月に入ると、一気に本気モードに突入する。役に立たない余分なものを次々と削り落としていく。松中はそれを自ら受け入れ、斎藤は崖っぷちに立たされているといえよう。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)