トヨタ自動車は連結子会社のダイハツ工業を完全子会社すると、2016年1月末に発表した。1907年に大阪で前身の発動機会社が誕生してから100年超の歴史を持つダイハツは、トヨタグループの小型車部門の中心としてインドなどの新興国攻略の要となる役割を担う。
一方で、トヨタは、軽自動車メーカーとしてダイハツと激しく争ってきたスズキとも提携を検討している。乗用車だけで大手8社がひしめく国内自動車メーカーの再編の序曲となるのか。
ダイハツ株は7月で上場廃止に
東証1部に上場するダイハツ株は16年7月27日付で上場廃止になる見通し。ダイハツ株1株に対してトヨタ株0.26株を割り当てる株式交換の手法により、8月1日付でトヨタの完全子会社となる。トヨタは保有する自社株を活用する。ダイハツブランドは維持する。日本の大手完成車メーカーが株式市場から姿を消すのは、スウェーデンのボルボに買収されたトラックの「日産ディーゼル工業(現UDトラックス)」(2007年)以来だ。
1月29日には東京都内でトヨタの豊田章男社長、ダイハツの三井正則社長がそろって記者会見した。豊田社長は「三井社長に話を持ちかけたのは昨年秋」と明かしたうえで、「小さな車をつくる難しさを痛感していた。従来のトヨタの小型車開発を変えるなかで、ダイハツの力を借りるのが有効だと考えた」と説明した。
今後、トヨタが小型車を新興国で販売する世界戦略では、ダイハツが中心的な存在になる。具体的には、ダイハツがトヨタ、ダイハツ両ブランドの小型車開発をリードする形に移行する。とりわけ新興国を対象にした商品政策は、ダイハツが中心になるよう、グループ組織を再編する。他方、トヨタがこれまで育んできたハイブリッド車(HV)や燃料電池車などの環境対応技術や、将来の成長が見込まれる「自動運転」に関する技術はダイハツに移転していく。トヨタとダイハツの競争力を持ち寄る形で相乗効果を発揮させるという狙いだ。
そこまで融合するなら、もはやダイハツブランドは不要なのではないか、との疑問も当然わくが、記者会見で豊田社長は「ダイハツブランドがなくなることは絶対にない」と明言し、「トヨタのなかにトヨタ、レクサスのブランドがあり、ダイハツともすみわけができる」と指摘した。三井社長は「ダイハツブランドは進化させる。BMWにおける『ミニ』のように存在感あるグローバルブランドになりたい」と語った。
トヨタとスズキは互いに魅力を感じている?
トヨタとダイハツの提携の歴史は、1967年の業務提携にさかのぼる。トヨタは1990年代にダイハツへの出資比率を順次引き上げ、1998年に現状の51.2%として連結子会社化した。1990年代のダイハツは、国内メーカーの中では海外進出に出遅れ、「米国撤退」にも直面。経営体力的にトヨタ傘下に入る必要があった。子会社化して以降、2004年には両社とも浸透しているインドネシアで共同開発の小型車を両ブランドで発売。同年、日本国内向けに共同開発した小型車も両ブランドで発売した(トヨタが「パッソ」、ダイハツが「ブーン」)。その後もダイハツがトヨタに軽自動車をOEM(相手先ブランドによる受託生産)供給するなど提携関係を強化してきた。
ダイハツは戦前戦後にオート三輪を国内に普及させたほか、戦後は電気自動車にも取り組むなど、軽自動車を中心に小型車メーカーとして独特の存在感を放ってきた。そうしたユニークなものづくりの土壌にトヨタの徹底した効率生産のノウハウが持ち込まれたことで、国内で軽自動車メーカーとしての競争力を高め、ついに2006年に宿命のライバル、スズキから国内軽自動車販売首位の座を奪い、その後はダイハツがほぼ首位を維持している。
問題はここへきてトヨタがスズキとの提携を検討していることだ。トヨタとしては独フォルクスワーゲンとの提携を解消したスズキは、インド市場に滅法強いだけに連携したい相手と映る。スズキもトヨタの傘を魅力に感じている可能性はある。
しかし、もし同じグループとなった場合、国内でスズキとダイハツとの「かぶり感」は相当大きい。トヨタ首脳は何を思うのか。業界関係者はトヨタの次の一手を凝視している。