清原和博が陥った「巨人の外様」という苦しみ 自らの衰えに「逆転の刺激剤」求めたか

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繊細で、期待に応えられないと悩むタイプ

   巨人はこれまで、他チームの大物選手を、自らの看板、カバン、地盤の三バンをフルに活用して獲得している。

   不滅のV9の初期は400勝投手となる金田正一を取った。西鉄黄金時代の1番打者だった高倉照幸は5番打者として迎えた。長嶋茂雄監督時代には3000本安打を放った張本勲を獲得し、最下位から優勝している。さらに三冠王の落合博満、続いて清原、セ・パ両リーグのMVP小笠原道大を手に入れた。

   彼らが活躍してチームは勝った。けれども成績が落ちてくると、はじき出されるように放出された。

   上記の大物選手で、巨人選手として現役引退したのは金田だけである。最後の試合で通算400勝を挙げ、胴上げされてユニホームを脱いだ。

   後の選手は、高倉はヤクルトへ、張本はロッテへ、落合は日本ハムへ、清原はオリックスへ、小笠原は中日へ、と移って行った。

「後楽園球場時代は、移籍してきた外様選手と譜代選手はロッカールームが別れていた。表向きの華やかさは裏ではなかった」

   ベテラン記者の話である。

   成績が降下してくると、大きな期待のリバウンドで冷ややかな視線を浴びることになる。チームが負ければ責任を押しつけられることもある。神経過敏な選手はまともな精神状態を保てなくなる。

   清原は繊細だし、期待に応えられないと悩むタイプである。マスコミの批判も厳しい。清原の言葉を借りれば「ボロクソにたたかれる」のである。巨人時代のチームメートが、清原にクスリを譲った、と話しているのが真実としたら、衰えとの闘いに苦しみ、逆転の刺激剤を欲したのかも、と想像したくなる。

   巨人の外様は期待も大きければ、酷評も半端ではない。その中に清原がいたということは事実である。

(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)

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