「古舘降板」で過熱するテレビ報道「偏向論争」 キャスターの「意見」どこまで許される?

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   古舘伊知郎さんが2016年1月4日の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、3月末にキャスターを降板することを自ら視聴者に語った。8日にはNHKの報道番組「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターが3月いっぱいで降板する方向で調整が進んでいると新聞各紙が報じた。「NEWS23」(TBS系)の岸井成格さんにも降板が決まった、との一部報道がある。テレビ番組で安倍政権に批判的な発言が取りざたされたキャスターばかりで、「政府からの圧力があったのでは」と指摘する報道が出ている。

   一方、放送法の規定などから、テレビ番組での「偏向報道」は許されないという見解も根強い。報道番組のキャスターや出演者の姿勢はどうあるべきなのか。夏の参院選が予定されるなかで、テレビ報道と政治をめぐる議論が高まっている。

  • 自らの言葉で「報道ステーション」降板を語った古舘伊知郎さん
    自らの言葉で「報道ステーション」降板を語った古舘伊知郎さん
  • 自らの言葉で「報道ステーション」降板を語った古舘伊知郎さん

「ニュースキャスターは反権力」と明言した古舘氏

   古舘さんは番組降板発表の際、

「ニュースキャスターは反権力、反暴力で、表現の自由を守る側面もある。キャスターが意見を言ってはいけないことはない」(15年12月24日、降板発表後の会見)

と、政権に反対する姿勢を明示していた。

   また、岸井さんは、安保法案の採決が迫った15年9月16日放送の「NEWS23」で、「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と「意見」を述べていた。

   ほかにも、「報ステ」に出演していた古賀茂明さんは、15年1月の放送で「I am not ABE」と安倍政権を批判し、3月に降板。ジャーナリストの青木理さんは、「ミヤネ屋」(読売テレビ)のコメンテーターだったが、リベラルなスタンスをたびたび示していたところ、15年10月に降板した。

   そんな中、東京新聞は「政権批判がテレビから消える日」と題する記事を15年12月26日に掲載した。

「『圧力』で反対意見封じ」
「メディア支配を強める安倍政権」

といった見出しを使い、

「政権の顔色をうかがう『忖度ジャーナリズム』は、もはや国民の代弁者たり得ていない」(服部孝章・立教大名誉教授)
「いずれテレビから政権批判が消えれば、日本はもう民主主義国家ではない」(永田浩三・武蔵大教授)

といった識者の見解も載せている。

   この記事に賛意を示したのが評論家の小林よしのりさんだ。15年12月26日のブログで

「古館氏にも岸井氏にも同意できない部分があるのだが、それでも全否定はできない。間違っている意見は徹底的に批判するが、圧力で意見を述べる場まで奪ってしまおうとは思わない」
「権力による『圧力』に屈する姿が、古舘氏・岸井氏の降板に影響しているのなら、確かにジャーナリズムは死ぬのかもしれない」

と案じた。

   16年1月10日の朝日新聞は、社説でテレビ報道への圧力を取り上げ、「『偏っている』 この言葉が、現政権と異なる考えや批判的な意見を強く牽制する道具になっている」とする論説を載せた。

「メディアは本来、さまざまな見解を伝えるもの」

   しかし、新聞などと違って、テレビは公共の電波を独占的に使用しており、放送法で、

「放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない」(第4条)
「政治的に公平であること」(第2号)
「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」(第4号)

と定められている。

   この放送法の規定が、「倫理規範」なのか、免許制に伴う「法的義務」なのかについては、「クローズアップ現代」(NHK)でのやらせ取材をめぐる騒動の時も、自民党・総務省と放送倫理・番組向上機構(BPO)との間で見解が分かれている。

   任意団体「放送法遵守を求める視聴者の会」は、「一方的な意見を断定的に視聴者に押し付けることは放送法に明らかに抵触する」として、「NEWS23」の岸井氏の発言を批判する意見広告を15年11月14日付の産経新聞、15日付の読売新聞に掲載した。同団体の小川栄太郎さんは、

「メディアは本来、さまざまな見解を伝え、事実と国民を媒介するものではないか。われわれの主張を全テレビ局が90%、賛成したり称賛したりするような状況も異常だ」(15年11月26日、同団体会見)

と、「報ステ」や「NEWS23」などに両面からのバランスのとれた報道を要求した。

   産経新聞も、「報ステ」を「高視聴率の一方で偏向報道指摘する声も」(2015年12月25日)などと報じて批判している。

   古舘さん自身は、

「私は偏っているし、偏っていない人はいない。放送法の問題はあるが、放送法も法的規範なのか、倫理規範なのかの議論がある。いろいろ考えるが、基本的には『偏らない放送はできない』という思いでやってきた」(前出、降板会見)

と、偏向を自認している。

   ジャーナリストの田原総一朗さんは、

「テレビ朝日全体がバランスが取れていればいいので、それぞれの番組は偏向していなくては面白くない」(2015年12月25日、ツイッター)

と、各番組の自由な言論を促している。

「報道機関」なのか、「娯楽機関」なのか

   前出の青木さんの「ミヤネ屋」降板については、読売テレビの親会社であり、政権寄りの論調をもつ読売新聞社からの圧力だ、などと指摘するネットでの報道もある。

   青木さん自身は、15年12月26日、日刊ゲンダイのインタビューで、政府に批判的な人物が続々とテレビから姿を消している現状を憂慮している。

「結果を見れば政権側の思うツボだし、官邸にとっては好都合の状況が醸成されつつあると思う。このままいくとマジメに取材する報道番組が次々と消え、毒にも薬にもならないエンタメ番組ばかりになるでしょう。すなわちテレビ局が報道機関から娯楽機関に成り下がるということです。それでいいのか。重大な問題をはらんでいると思います」

   実際、民放テレビ局は「視聴率」や「スポンサー」を無視することはできず、報道番組にも幅広く視聴者を楽しませる「エンタメ」要素がある程度求められる点は否定できない。そのために番組が方針転換することもあり得る。それが政府からの圧力なのか、自らの経営判断なのか、外からはわからない。

   ホリエモンこと堀江貴文さんは、今回の古舘さんの降板に対し、

「そもそも長期政権すぎるし、一部の視聴者に媚びたいだけなのかもしれないが感情論が多かった印象。辞めるのには基本的に賛成です」(2015年12月24日、ツイッター)

と言及し、「視聴者に媚びる」という表現で、民放の報道番組の限界を指摘。古舘さんを「感情論が好きな世間の代弁者」と位置付け、「対外的にはあくまで論理で勝負」という自分のスタンスとは相容れなかったとして、「偏向」とはやや違った文脈で批判している。

   テレビ報道の姿勢についてはネット民の間でも意見が分かれている。

「メディアごとにスタイルがあっていいと思うがな 中立である必要などないよ」
「局というより日本全体でバランスとれてりゃそれでいいだろ。基本的にテレビで何を主張しても問題ない。今は異常に自己抑制しすぎ」

と、それぞれの姿勢を容認する声もあれば、

「(偏向報道とされる番組を指して)報道バラエティーといった方がいい」
「作り手の思想がモロに出てるよなあ 俺たちが教導してやる感が強い」

と、偏向が過ぎて信頼感を失ってしまっていると指摘する声もある。

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