芸能界の超大物スター小林旭さんが、かつての恋人、浅丘ルリ子さんとの別れを、2016年1月4日から始まった朝日新聞の連載コラム「人生の贈りもの わたしの半生」で忌憚なく語っている。浅丘さんの父に「どこの馬の骨かわからんやつに、娘を嫁にやれるか!」と言われてカチンときたことが引き金になったというのだ。
一方の浅丘さんはすでに半年前の昨年7月、日経新聞の「私の履歴書」で、小林さんとの恋物語を赤裸々に語っている。超大物同士の破たんの真相が、半世紀を経て双方から明かされている。
「残念ながら、うちの娘はまだ嫁にはやれません」
先に明かしたのは浅丘さん。30回に及ぶ連載コラムの第7回で、「『運命の人』小林旭さん、海外ロケの合間にデート」との見出しでラブラブ時代をつづった。「2人は1年のうちほとんどの時間を一緒に過ごしていた」。しかし第8回では一転、「『お嫁にください』父拒絶、旭さんとの関係は自然消滅」との見出しで、下記のように別れをつづっている。
――後日談だが、旭さんから衝撃的な事実を知らされた。
実は父に『信子さん(ルリ子さんの本名)をお嫁にください』と直訴したことがあるというのだ。・・・
「残念ながら、うちの娘はまだ嫁にはやれません」
父ははっきり拒否したという。私は22歳でまだ女優としては成長中。身を固めるには時期尚早と考えたのだろう。私の将来を考えた上での父の判断だった。・・・
「もし旭さんと結婚していたらどうなったかしら?」
今でも考えることがある――
全体としてソフトな書き方だが、小林さんは朝日新聞のコラムで、このあたりの事情をもう少し踏み込んで書いている。
「俺の自宅にルリ子の両親を招待して酒を飲んだんだけど、どういう具合か酔っ払ううちにルリ子のお父さんに『どこの馬の骨かわからんやつに、娘を嫁にやれるか!』と言われてしまった」
「ルリ子の両親とはそれ以前から顔は合わせていたけれど、それにしても『馬の骨』とまで言われなきゃいけないような仕打ちを、俺はこの人たちにしたか? そう思ったらルリ子との間に隙間ができていってしまった」
浅丘ルリ子さんの父の意向で二人は別れることになったというのだ。
当時の小林さんは石原裕次郎さんと並ぶ日活のトップスター。浅丘さんは2歳年下で映画では小林さんの相手役。いわば共演がきっかけの「職場恋愛」だったが、結婚には至らなかった。
「天下のひばりが、ほれたと言うとんや。男冥利に尽きるやろ」
浅丘さんの父は上海の東亜同文書院に留学、中央大学を経て大蔵省へ。語学力を買われて満州国にも派遣されていた高級官吏だった。一方の小林さんの父は映画の照明技師。母は向島の芸者。浅丘さんの祖母も柳橋の芸妓だったので、双方の家庭環境には接点があったようにも見えるのだが...。
浅丘さんと別れた小林さんに近づいたのは美空ひばりさんだった。食事に誘われたという。そのうちにひばりさんのおやじがわりという田岡一雄さん(山口組3代目組長)が黒塗りの高級車に乗って、ひばりさんの母といっしょに小林さんの家を訪れた。
「『天下のひばりが、ほれたと言うとんや。男冥利に尽きるやろ』と、そう言われたら、物の言いようがない。そこからはもう至れり尽くせりの段取りで、結婚式までお任せしっぱなしだった」
まるで映画のワンシーンのような回想だ。そのひばりさんとも小林さんは2年で離婚した。浅丘さんはテレビドラマでの共演がきっかけで30歳の時に石坂浩二さんと結婚したが、のちに離婚した。
芸能人は最近、ちょっとしたことで派手に取り上げられることが多いが、浅丘さんのコラムには、小林さんとの「熱き時代」を、芸能マスコミがどう見ていたかの興味深い記述もある。
「当時の週刊誌やスポーツ新聞の番記者さんたちは寛大で(小林さんとの交際を)見て見ぬふりをしてくれた・・・『看板スターをつぶすな』『いい映画作品を残そう』・・・私はこうした周囲の支援に支えられながら仕事に打ち込むことができた」