小林旭さん、浅丘ルリ子さんとの「破たん」の真相を語る 「どこの馬の骨かわからんやつに、娘を嫁にやれるか!」

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「天下のひばりが、ほれたと言うとんや。男冥利に尽きるやろ」

   浅丘さんの父は上海の東亜同文書院に留学、中央大学を経て大蔵省へ。語学力を買われて満州国にも派遣されていた高級官吏だった。一方の小林さんの父は映画の照明技師。母は向島の芸者。浅丘さんの祖母も柳橋の芸妓だったので、双方の家庭環境には接点があったようにも見えるのだが...。

   浅丘さんと別れた小林さんに近づいたのは美空ひばりさんだった。食事に誘われたという。そのうちにひばりさんのおやじがわりという田岡一雄さん(山口組3代目組長)が黒塗りの高級車に乗って、ひばりさんの母といっしょに小林さんの家を訪れた。

「『天下のひばりが、ほれたと言うとんや。男冥利に尽きるやろ』と、そう言われたら、物の言いようがない。そこからはもう至れり尽くせりの段取りで、結婚式までお任せしっぱなしだった」

   まるで映画のワンシーンのような回想だ。そのひばりさんとも小林さんは2年で離婚した。浅丘さんはテレビドラマでの共演がきっかけで30歳の時に石坂浩二さんと結婚したが、のちに離婚した。

   芸能人は最近、ちょっとしたことで派手に取り上げられることが多いが、浅丘さんのコラムには、小林さんとの「熱き時代」を、芸能マスコミがどう見ていたかの興味深い記述もある。

「当時の週刊誌やスポーツ新聞の番記者さんたちは寛大で(小林さんとの交際を)見て見ぬふりをしてくれた・・・『看板スターをつぶすな』『いい映画作品を残そう』・・・私はこうした周囲の支援に支えられながら仕事に打ち込むことができた」
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